大和 興ケ原城



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                     主郭背後の堀切             

@ おくがはらじょう 
  別名  

A住所:奈良市興ケ原町
B目標地点:柳生公民館興ケ原分室
C形式:丘城  D比高:40m 
E現況:山林

F遺構等:郭・土塁・堀切
G時代/人物:戦国期/興ケ原氏
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  県道沿い説明板のところから20分

J撮影・訪問時期:2018年10月

  

道案内 

国道(国道25号線)の針インタを下り、国道369号線を北上します。14km先、水間の信号で国道は右折です。(左折は県道80号線) 水間の信号から10km柳生の里に入ります。バイパスで柳生の里の家老屋敷を越えた先の交差点で右折し、すぐの柳生の信号を直進し県道4号線を進みます。約2.6km先の左手が公民館の興ケ原分室で右手に説明板があります。城跡周辺は道が狭く駐車できないので説明板のところに車を停めて集落を歩いていきます。公民館分室から200m先まで歩き左折し200m先まで歩くと民家前で道は右折してます。100m先の左手のビニールハウスを越えて左折し60mほど進んだところで右手に登ります。5mほど登ると広い削平地でその奥に30mほどの斜面があります。この上が城跡です。

訪城備忘録

城跡は伐採された木々が散乱していてとても登りにくい状況です。 登りきると主郭ですが斜面に2ケ所段郭というか帯郭のような平坦地があります。主郭にも木々が散乱しています。主郭奥側(尾根側)に大土塁があり、その背後に二重堀切があります。特に主郭下の堀切は深く明瞭です。豪族の城の典型的な形と言う感じです。

県道沿い説明板
歴史

室町期に名張からこの地に移住した興ケ原氏は天文・永禄期に興ケ原助豊、助秀は豊臣秀長に仕えました。助秀の妹が柳生宗厳(むねよし)<=但馬守・石舟斎>に嫁いで柳生家と縁戚となりました。五男は宗矩(むねのり)で江戸期柳生家の再興を果たします。助秀の子の助勝は豊臣秀頼に仕え大阪の陣後に浪人しますが、その後、柳生家に仕えました。<現地案内板より>

尾根側  二重堀切  主郭側
城跡遠望
  
主郭前斜面
主郭下段郭       主郭
主郭の大土塁
主郭側堀切
主郭側堀切
尾根側堀切
城跡遠望

近くの城・関連の城:柳生陣屋