大和 須川城



ファイルNo3381


                            主郭と土塁

@ すがわじょう 
  別名 

A住所:奈良市須川町
B目標地点:
C形式:山城  D比高:60m 
E現況:山林

F遺構等:郭・土塁
G時代/人物:期/簀川氏(須川氏)
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  10分

J撮影・訪問時期:2018年02月

  

道案内 ←城跡    ←登り口

国道(国道25号線)の針インタを下り、国道369号線を北上します。14km先、水間の信号で国道は右折です。(左折は県道80号線) 水間の信号から10km柳生の里に入り、1km先、右折が県道4号線、左折が国道369号線の交差点を左折し国道を進みます。約5.6km先の大柳生の信号で右折し県道47号線に入ります。約1.6km先の(旧興東中学/奈良市役所東部出張所前)で、そこから約400m先に斜め左に入る細い道コンクリート道があります。途中からダート道になり、300mほど進んだ先でまっすぐの道と右折する道があります。車はまっすぐはもう行けない感じです。ここの右折してすぐ左の斜面を直登します。比高で30mほど、高圧鉄塔を目指して登ると城跡です。
 
訪城備忘録

斜面を登って行くと頂部に鋭く切り立った城壁が見えてきます。城は基本は土塁を四方に巡らす単郭の城であったように見えます。現在、頂部の城跡の東側、一段下がったところに高圧鉄塔が建設されており、このあたりも城域であったかは定かではないです。鉄塔工事の影響か東側の土塁はないです。郭内はわりと広くて40m四方はあるかと思えます。見張り、物見の城という事らしいですが居住性を感じます。

斜面から城跡遠望
歴史

詳細は不明ですが、一乗院国民の簀川(須川)氏の城とされます。簀川氏は応仁の乱では古市氏に従い、天文十年(1541年)頃には木沢氏に従いましたが 天文十二年(1543年)筒井氏に攻められ一時逃れましたがその後復帰し、元亀年間(1570〜73年)には筒井氏、松永氏の対立では松永氏に従ったようです。元亀二年(1571年)には松永氏の支城を守備していたところ同じ守備をしていた吐山氏は筒井氏に寝返り、簀川氏を攻撃し討たれたとあるようです。

虎口付近      土塁
  
城跡を下から
石積み跡?       土塁と郭
北側土塁

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