大和 西方院山城



ファイルNo3136

              二重堀              

@ さいほういんさんじょう 
  別名 瑜伽山城・天満山城 

A住所:奈良市高畑町
B目標地点:奈良ホテル
C形式:丘城  D比高:20m 
E現況:瑜伽神社
(ゆうが)・林
F遺構等:郭・堀・堀切・土塁
G時代/人物:室町期/古市氏
H満足度: 凸△
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  10分
J撮影・訪問時期:2016年08月
        (2025年05月)

  

道案内 

西名阪道の天理インタを下りて国道169号線を奈良公園に向かって北上します。約10km先の福智院北の信号を越えると左手が旧大乗院庭園です。(このまま進むと左手が奈良ホテル、一の鳥居前の信号で左前が興福寺、右折した先が春日大社、奈良公園になります。)  福智院北の信号から約200m先の路地に逆V状に右折します。 (約100m先を左折し約25m先の左手が瑜伽神社(ゆうが)の鳥居です。この辺は道が狭く駐車できるスペースがありませんので、どこかの有料駐車場を利用します。)

訪城備忘録

瑜伽神社(ゆうが)の裏手の丘の上が城跡です。西側に浅い堀切と土橋が残り、東側に土塁がしっかりし、堀もきちんと残る二重堀が残ってます。 真ん中の郭には神社に関わるような碑が立ってました。

城には関係ないのですが、福智院北の信号を右折し、約500m先の高畑町の信号を直進し、約500mくらいのところは昔は春日大社の神官の居住エリアだったようです。この付近、各お屋敷の敷地は広そうで、その中に志賀直哉の旧宅(昭和四年(1929年)築)、旧足立家の洋館(大正八年(1919年)築)、そして、奈良県唯一のヴォーリズ建築の住宅である旧栗森吉蔵邸(昭和初期(1930年代)築/昭和九年(1934年)以降のようです。)があります。栗森邸はもう20年以上空き家らしく相当に傷んでますが、2025年取り壊しの話が出て、運動がおこり、存続の協議がなされているようです。

瑜伽神社(ゆうが)
歴史

文安元年(1444年)、古市胤仙が鬼薗山城を築くことを計画するも大乗院の領域であったため、計画を変更し西方院山に築城を開始したとされます。築城途中で鬼薗山城の築城が可能となったため、そちらに再度築城し、西方院山城は未完のまま放置されたようです。しかし、文明十一年(1579年)、古市澄胤は西方院山城を改修し完成させました。完成直後に筒井氏に攻められ落城し、そのまま廃城になったようです。

東側の二重堀    土塁   
高畑町にて
  
東側の二重堀
東側の二重堀
東側の二重堀
西側の堀切と土橋
城跡反対側の奈良ホテルは鬼薗山城跡(きおんさんじょうせき)になります。
奈良ホテル  
旧大乗院庭園
高畑町の洋館など
旧栗森吉蔵邸(ヴォーリズ建築)  
旧栗森吉蔵邸(ヴォーリズ建築)
旧栗森吉蔵邸(ヴォーリズ建築)
旧足立家住宅
旧足立家住宅
土塀の路地(左:旧志賀直哉旧宅・右:旧足立家住宅)
旧志賀直哉旧宅
旧志賀直哉旧宅(応接室から若草山)
旧志賀直哉旧宅
旧志賀直哉旧宅
旧志賀直哉旧宅
旧志賀直哉旧宅

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