大和 五条代官所



ファイルNo3119

              現存長屋門              

@ ごじょうだいかんしょ 
  別名 

A住所:五条市新町3丁目3
B目標地点:五条簡易裁判所
C形式:平城  D比高:ーm 
E現況:公共施設

F遺構等:現存門
G時代/人物:江戸期/江戸幕府(天領)
H満足度: 番外凸+
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  2分

J撮影・訪問時期:2016年06月・2020年11月

  

道案内 

京奈和自動車道の五条インタを下り、五条インタ前の信号を右折し国道310号線に入ります。約1.6km先の本陣の信号で右折し国道24号線に入ります。約500m先の路地に右折し、すぐを左折し約150m先が史跡公園でここに門があります。
 
訪城備忘録

唐突な感じでりっぱな長屋門が建っています。その他の建物は残っていません。国道の反対側の五条新町は江戸期の風情の残る建物群があります。

歴史

寛永七年(1795年)、五条・宇陀・吉野の約5万石を管理する天領代官所として築かれました。文久三年(1863年)、天誅組の襲撃で焼失したため元治元年(1864年)に旧代官所の西側に再建されました。

江戸期の風情が残る五条の街並み(五条新町)
松倉豊後守重政之碑     五新鉄道の橋梁
二見城 3120  

A住所:五条市二見5丁目2  B目標地点:妙住寺 C形式:平城  D比高:ーm E現況:寺・宅地
F遺構等:説明板 G時代/人物:室町期/二見氏 H満足度:
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:2分  J撮影・訪問時期:2016年06月

今は説明板があるのみです。
二見城は元弘年間(1331〜34年)に二見氏の館城として築かれたという説がありますが、定かではないようです。二見氏は南北朝期は南朝勢力であったとの事です。慶長十三年(1608年)、関ケ原の戦いの功で1万石となった松倉重政が古城を大改修して居城としました。重政は現在の五条新町の基礎を作ったとされます。元和二年(1616年)、大坂夏の陣の功により肥前日野江4万3千石で転封しました。重政は島原城を築城しますが、悪政のため、島原の乱の原因(その時は重政は死去し嫡男の勝家の代)となったとされます。五条では名君、島原では暴君・・・なにがあったんでしょうかね?


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