大和 吉野・小川城



ファイルNo2979

              南側の堀切と土橋              

@ おがわじょう 
  別名 春戸城 ハルトヤ城 鷲家口城 

A住所:吉野郡東吉野村小川
B目標地点:
C形式:山城  D比高:150m 
E現況:山林

F遺構等:郭・堀切・土塁・碑
G時代/人物:戦国期?/小川氏
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  20分

J撮影・訪問時期:2015年08月

  

道案内 

西名阪自動車道香芝インタで下り、国道168号線を南に進みます。2.5Km先の下田の信号で左折し国道165号線に入ります。5Km先大和高田市内で国道は大きく右にカーブします。さらに2Km先、今里の信号で左折します。4.5Km先の橿原市の小房の信号で右折し国道169号線に入ります。(あるいは、西名阪自動車道郡山インタで下り、いったん国道24号線に出てすぎに右手の京奈和自動車道も郡山南インタに入り、約10Km先の橿原北インタで下ります。2.8Km先の曲川町東の信号で右折し国道166号線に入ります。2.8Km先が小房の信号で右折し国道169号線に入ります。) 橿原神宮を右手に見ながら6Km進み、高取町の下土佐の信号から1.5Km先が国道169号線の清水谷の信号です。(ここで斜め左に行くと壷阪寺、高取城の裏側登城口です。)清水谷の信号からさらに国道169号線を進みます。約6km先の土田の信号で左折します。(国道169号線のままです。) 約14km先、宮滝大橋北詰の信号を左折し国道370号線に入ります。蛇行した吉野川沿いに走ります。約8km先、窪垣内の信号を直進し県道16号線に入ります。約10km先の右手対岸がが東吉野村役場付近で。役場付近を越えて約200m先を右折し県道220号線に入ります。約400m先、東吉野小手前で右折し橋を渡ります。橋を渡ったところに登り口があります。

訪城備忘録

東吉野村役場のそばから登城道をひたすら登って行くと言う感じです。頂上近くで電波塔に至ります。その先に綺麗な土橋を伴う堀切があり、山頂には神社があってここが主郭のようです。奥(南側)が土壇になっていてここに城址碑があります。その先にまだ土橋の伴う堀切になっていて、その先にも堀切があると言う城跡でした。電波塔や神社で改変はあるかもしれませんが、夏場でも草が生い茂るという事もなく、見学しやすい城跡でした。

城址碑
歴史

古くより丹生川上神社の神官であった小川氏は築いた城と伝わります。長禄二年(1458年)〜戦国前期頃、小川弘光の時代が全盛期とされ、その後、弘茂、弘栄と続きます永禄四年(1561年)、松永久秀に攻められ落城しますが、命脈は続いていましたが、天正十八年(1590年)、小川次郎と言われる人物が処刑された以後 小川氏は没落したとされます。

北側の堀切と土橋     南側の堀切と土橋
  
北側の堀切
主郭側から北側を見る     主郭     
北側の堀切土橋@
北側の堀切土橋A
東吉野村中心地      幕末の彦根藩陣所跡標識
小川古城 2980 
 
@ おがわこじょう A住所:吉野郡東吉野村小 B目標地点:愛宕神社 C形式:山城  
D比高:100m E現況:神社・山林
 F遺構等:郭・堀切・土塁・碑 
G時代/人物:戦国期?/小川氏 H満足度: 凸+
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:20分 J撮影・訪問時期:2015年08月

東吉野小学校前から県道220号線を約2km先、石舟橋のバス停付近に左折し段丘の上に登れる道があります。これを約400m登ったところが愛宕神社の入口で横に小川城の城址碑があります。

参道を進んで本殿の背後に堀切が残っているという割と単純な城跡でした。小川古城から県道220号線をさらに進むと、約1.4km先の左手に天照寺があり、ここに小川氏の墓があり、そこからまた約800m先に丹生川上神社があります。

永禄四年(1561年)、松永久秀に攻められ落城した後に、ここに砦を築いて抵抗したとされるようですが、元々、南北朝期、小川氏の屋敷は小川古城から高見川を挟んだ対岸にあったようですので、小川氏の最初の城とも言われるようです。

主郭背後の堀切     入口の城址碑
小川城主の墓  天照寺  寺を下から
天照寺       丹生川上神社

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