大和 多聞城



ファイルNo2672

多聞櫓の由来の城

                         丘の先端(奥に土塁?)   

@ たもんじょう 
  別名 多聞山城 

A住所:奈良市法蓮町
B目標地点:若草中学校・聖武天皇陵
C形式:丘城  D比高:20m 
E現況:中学校・宅地

F遺構等:郭・土塁・堀切?・碑
G時代/人物:期/
H満足度: 凸+
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  5分

J撮影・訪問時期:2011年09月

  

道案内 

名阪道の天理インタを下り、国道169号線を奈良市街地に進みます。13km先(県庁を過ぎて700m先)、転害門前の信号を左折し県道104号線に入ります。(この道は時間一方通行のようです)250m先で右折で300m先の突き当りが若草中学校です。
 
訪城備忘録

城跡は中学校になっていて目だった遺構はないようです。予約もせずに訪問しましたが、親切な先生がご案内いただきました。台地の先端、天皇陵側に平坦地が残り、その先に堀切が残っているようですが、周囲は住宅密集地のためと、天皇・皇后陵のため、立ち入りができないので、これ以上は断念です。玄関の中に推定図が飾ってあります。先生はご親切にも鍵を開けて見せていただきました。感謝。 生駒郡安堵町には移築門とされる門があります。

城址碑
歴史

永禄三年(1560年)に松永久秀が築城したとされます。安土城以前に天守を持ち、長屋状の櫓を巡らし、これが後にいろんな城郭で多用され、これを多聞櫓と呼ばれるようになりました。天正元年(1573年)に久秀は織田信長に離反し、多聞城は天正四年(1576年)に信長の命で筒井順慶が破却し、用材は筒井城、大和郡山城に使用されたようです。久秀は翌天正五年(1577年)に再び信長から離反し信貴山城で自刀しました。

中学校の石段        中学校内にある推定図
生駒郡安堵町にある移築門        転害門     
  

近くの城・関連の城: