道案内 ←バス停 ←城址 |
大和高田市の国道24号線と国道166号線の交わる東室の信号から国道24号線を南下します。18km先、東佐味の信号で右折し県道30号線に入ります。800m先の信号は直進ですが、右折すると県道30号線の旧道で高鴨神社に至ります。さらに800m先の大西橋西詰の信号で右折し、県道30号線新道に入ります。500m先が鴨神バス停です。バス停横の小道を登ります。道はU字の細い道ですが途中であぜ道を直進します。トタンとフェンスを越えて林に入ります。すぐに墓石?(石碑?)がありこの前を左折します。(夏場は藪状態です^^;)よく見ると道で、右回りで山を登ります。中腹の竹林の二股は右手、さらに尾根の下でまた右手です。最後はやや左手方向に登ると虎口ですが、右手方向に行くと下草の無い山の斜面に至り、ここを左手に登ると、主要部下の堀のところに至ります。ここを越え、登ると主要部の北東端の郭で、左手に行くと主要部虎口に至ります。
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訪城備忘録 |
滋賀であれば、高島の井ノ口館の山城版、あるいは、清水山城の屋敷群という感じでしょうか。一番奥の高台を主郭とした場合、登城道を登ってきた虎口から、まっすぐ主郭下まで、幅3mほどの通路と、この通路に平行して北にもう一本同様の幅の通路が東西あります。この通路の両サイドに土塁に囲まれた方形の屋敷跡が整然と並んでいます。一番南側には一段下に土塁には囲まれていない段郭が何段かあります。この屋敷群を越えると10mほど高台に主郭と思われる郭があります。上下二段になっていて、周囲を土塁が巡ります。主郭の背後には堀切(堀)になっていて、これがやや食い違いになっており、西への出丸的郭への道を構成しています。主郭南下の堀は深く明瞭です。主郭周囲は堀・堀切・土塁・櫓台と城のパーツとしては完存と言える状態ですが、東側に広がる方形の郭群は屋敷跡的には見えますが、あまりに整然としており、寺院の坊跡かも知れません。あるいは、それを利用した城跡なのかもしれません。しかし、この山奥に一辺が50mほどの方形群がならんでいるのは壮観であり、驚きです。
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主郭東下の堀
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詳細は不明です。古代氏族の佐味氏、戦国期にこの周辺を支配した吐田氏関連とも考えられるようですが、史料が乏しいようです。永禄十年(1567年)に、根来寺衆と畠山高政がこの城に攻めた史料があり、この頃は吐田氏の城であったようです。吐田氏は鎌倉期頃から国人として台頭し、応仁の乱前後は越智氏・古市氏方であったようです。永禄年間には一時筒井氏方であったようで、この城も筒井氏方の城になっていたようです。吐田氏は必ずしも筒井順慶には従わなかったとされ、天正九年(1581年)に織田信長によって滅ぼされたようです。
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