大和/ 多田城



ファイルNo2231

           主郭    

@ ただじょう 
  別名 佐比山城 

A住所:宇陀市室生区多田
    旧宇陀郡室生村

B目標地点:満寿寺
C形式:山城  D比高:80m 
E現況:山林・神社

F遺構等:郭・竪堀・土塁
G時代/人物:室町期/多田氏
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  寺から15分
J撮影・訪問時期:2009年08月・2016年12月

  

道案内 

名阪国道(国道25号線)の針インタで下り、国道369号線を南下します。4.3km先の外の橋の信号で左折し県道28号線に入ります。700m先の信号で左折し県道127号線に入ります。2km先、春日神社の先で右折し東側へ進みます。東の山すそまで行くと満寿寺です。
 
訪城備忘録

多田地区には、この多田城の尾根先端に多田北城、県道近くの丘陵に多田下城がありますが、北城は夏場では草木が伸びていて行けそうにありませんでした。さて、多田城ですが、麓の満寿寺の本堂背後左手に木の階段状を七面堂に向かって山道が頂上まで続いています。主郭手前で左手に郭を見ながら進みます。この先は少し窪みになっていて左斜面も同様であるため竪堀跡のようです。ここから主郭下の帯郭上の所に至りますが、ここに入る虎口風の開口部がありました。帯郭状を1/4周すると主郭に入ります。主郭にはお堂があり、平坦地はけっこう広いです。主郭南側には三日月状で土塁が認められます。また、西側斜面には薄いですが畝状竪堀が残ります。

麓から城跡遠景
歴史

摂津源氏の多田氏の末裔と称する多田経実が鎌倉初期にこの地に入って栄えたとされます。多田城の築城時期は不明ですが、南北朝期には南朝方として活躍し、その後は越智氏に属したようです。応仁の乱後には時の当主の多田延実は筒井氏に属し、貝那木山城を築いたとされます。延徳元年(1489年)に吐山氏に破れ、没落したようです。

虎口         主郭土塁
  畝状竪堀         県道より城跡遠景
  
北西側斜面連続竪堀       北東側竪堀
北城遠望

近くの城・関連の城:貝那木山城