大和 岩掛城



ファイルNo2168

               背後の堀切    

@ いわかけじょう 
  別名 山田城 

A住所:天理市山田町
B目標地点:山田公民館
C形式:山城  D比高:80m 
E現況:山林

F遺構等:郭・堀・堀切・竪堀・土塁
G時代/人物:室町期/山田氏
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  山田公民館・民俗資料館から10分

J撮影・訪問時期:2009年06月・2018年10月
            2021年02月

  

道案内 

名阪道の針インターを下り、国道369号線を北上、柳生方面に進みます。約7km先で左折し県道47号線に入ります。約2.5km先、右手に山田公民館、民俗資料館があり、この間の道に入ります。坂道を250mほど登ると砂防ダムの前にでます。(ここまで車で上がれます) この砂防ダムを右側斜面から越え、砂防ダムの反対側にまた下りて、 沢に入ります。左手尾根上が城跡です。 <砂防ダムの壁に凸→のマークが書いてあります。また、説明板は公民館から少し行った川沿いの岩掛不動明王の下道沿いにあります。> さらにその先、蔵輪寺は山田道安の菩提寺で説明板と墓があります。

訪城備忘録

2021年に再々訪城しました。実は2009年に訪城した事を忘れていて2018年委再訪しました。それに2回目の忘れての再訪でした。2018年は訪城したのに気付いたのは家に帰ってからでしたが、2021年は登城口で訪城済に気づいたんでまだエエか。^^;(笑) そんなに記憶に残っていないんですが遺構はそんなに悪くないのです。

砂防ダムを越えていきます。砂防ダム前で右にコンクリート階段がありますのでそれで砂防ダムの上まで行って砂防ダムの反対側に下りて砂防ダムは背後の沢を進みます。すでに左手尾根上は城跡です。沢の途中で左側に移り、切通しの道を登ります。先端郭と主郭との間の堀切です。相当に藪化しています。2009年の写真とは違う城に感じるくらいです。先端側郭の西側斜面には畝状竪堀があるんですが、見る気にもならないくらい熊笹に覆われてます。ここの見所は主郭背後の尾根を断ち切ったU字の堀切でしょうかね。U字堀切を西側に下りていくと水場(水の手)があります。 さらに、背後の尾根の上にも堀切状の箇所が三か所あります。拡張の途中だったのか、元々尾根の防衛で堀切のみを構築するつもりであったのか?郭の造成はされてません。 主郭の切岸は高くU字の堀切も明瞭でなかなかいい城跡です。

説明板
歴史

築城時期は定かでは無いですが、山田氏の居城として築かれたようです。文明年間(1469〜86年)頃には山田順貞(としさだ)<道安>が城主であったようです。順貞は天文年間(1532〜55年)から永禄年間(1558〜70年)の間に馬場城に本拠を移しました。山田氏は、古市氏に従いましたが、その後、筒井氏と姻戚関係を結びましたが、松永久秀が大和に入ると久秀に従いました。

主郭切岸と背後の堀切
主郭背後の堀切
    中間の堀切        尾根先端郭を下から(竪堀)
尾根側中腹の空堀(下段)
尾根側中腹の空堀(上段・スロープ状)
上段の郭背後の堀切     城跡遠景    
  
砂防ダムから城跡遠望
沢から城域を見る
中間の堀切
先端側郭から主郭を見る
U字堀切北側
 
U字堀切北側
主郭背後のU字堀切
主郭背後のU字堀切
主郭背後のU字堀切
主郭背後のU字堀切
主郭背後のU字堀切
主郭背後のU字堀切と主郭切岸
U字堀切南側
背後尾根の斜面と堀切状

近くの城・関連の城:馬場城