大和 稗田環濠集落



ファイルNo2156

                            

@ ひえだかんごうしゅうらく
  別名 

A住所:大和郡山市稗田町
B目標地点:
C形式:平城  D比高:−−m 
E現況:集落

F遺構等:水堀・説明板
G時代/人物:戦国期/ーー
H満足度: 凸+
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  1分

J撮影・訪問時期:2009年06月・2023年03月

  

道案内 

西名阪自動車道の郡山インタを下り、国道24号線を北上します。約3.6km先、美濃庄町西の信号を左折します。約600m先が稗田集落の入口です。
 
訪城備忘録

奈良県に数多くある環濠集落の中でも大型で集落を巡る水堀が良く残っています。北東側は七曲りと言われるらしく、水堀がクネクネと折れ曲がってます。城で言えば横矢が効いてるちゅうことになるのかな。西と南側の水堀は一段と幅のある水堀です。集落内はまっすぐの道もあるんですが途中でT字になったり、折れていたりする感じです。これも防御の一つでしょうね。

説明板
歴史

室町期に大和(奈良県)で集落の自衛のために数多く作られた環濠集落のひとつで、大型の環濠集落です。

環濠
賣太神社の説明板
若槻環濠集落 3847 
 
@ わかつきかんごうしゅうらく A住所:大和郡山市若槻町  B目標地点:西融寺・天満神社
C形式:平城  D比高:−−m E現況:集落  F遺構等:水堀・説明板 G時代/人物:戦国期/ーー
H満足度:
凸+ I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:1分 J撮影・訪問時期:2022年08月

西名阪自動車道の郡山インタを下り、国道24号線を北上します。約3km先、大江町の信号を左折します。約400m先の左手側集落が若槻町集落です。道が狭い為車での進入は避けた方がいいです。田んぼを挟んで西融寺がありますが、ここへの道沿いに説明板があります。集落南側の西端、天満神社周辺の水堀は良く残っていると言えるのかもしれません。

水路となってる水堀         説明板
天満神社周囲の水堀
番条環濠集落 (番条城) 3846
 
@ ばんじょうかんごうしゅうらく A住所:大和郡山市番条町  B目標地点:熊野神社・阿弥陀院
C形式:平城  D比高:−−m E現況:集落  F遺構等:水堀・説明板 G時代/人物:室町期/番条氏
H満足度:
凸+ I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:1分 
J撮影・訪問時期:2022年08月・2023年03月


西名阪自動車道の郡山インタを下り、国道24号線を奈良市方面に進みます。約800m先の横田町の信号で左折し国道25号線に入ります。約2km先の筒井町の信号で右折し県道108号線に入ります。約1.2km先の信号を右折し、約400m先の佐保川を渡ります。この左右(南北)が番条町です。橋を渡って約150m先を左折し約300m先が熊野神社、右折し約200m先が阿弥陀院です。

この環濠集落は大きく3つの集落(郭)で構成された城でもあったようです。一度目の訪城時は北側の熊野神社周辺の堀のみでしたが、二度目の訪城で阿弥陀院東側の水堀も見学しました。  

熊野神社側は神社の北側の道路を約50mほど行ったところで右折し路地を抜けると菩提仙川の堤下に水堀が残っています。熊野神社の南東側から南に向かっても水堀がありますが、不明瞭です。阿弥陀院側は、阿弥陀院の東側にコの字状に明瞭な水堀が残ります。この水堀は先ほどの熊野神社南東側の水堀と繋がってます。さらに番条町南端にも東西に水堀の痕跡が残っている感じです。
番条町の集落内の家々、門構えがどちらもりっぱで、お宅も重量感のある家々が並んでます。集落内の道は狭いので注意が必要です。

大乗院の衆徒であった番条氏の居城であったようです。番条氏は応仁の乱以前は越智氏に従っていたようで、長禄三年(1459年)、筒井氏に攻められたようです。その後、筒井氏に従ったようですが、永禄十一年(1568年)頃に松永久秀に攻められ落城したようです。元亀二年(1571年)、筒井氏が松永氏を破ると番条城は筒井氏方になりましたが、天正八年(1580年)、織田信長が大和に出し破城令で廃城になったようです。

菩提仙川堤下の環濠水堀を上から
菩提仙川堤下の環濠水堀
阿弥陀院東側の堀
阿弥陀院東側の堀

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