大和 龍王山北城



ファイルNo2105

大和屈指の巨城

                        堀切    

@ りゅうおうざんきたじょう 
  別名 
A住所:天理市田町〜藤井町・柳本町
B目標地点:
C形式:山城  D比高:400m 
E現況:山林

F遺構等:郭・堀・堀切・竪堀・土塁・石垣・碑・説明板
G時代/人物:戦国期/十市氏
H満足度: 凸凸+

I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  駐車場から10分

J撮影・訪問時期:2009年05月

  

道案内 

西名阪道(国道25号線)の天理インタで下り、国道169号線を南下します。5km先の勾田町の信号で左折し一般国道の国道25号線に入ります。7km先の天理ダムで直進して県道247号線に入ります。2.8km先で右折します。右折すると工事現場か採掘場かと一瞬思いますが、かまわず直進するとまた山道があります。2.2km先の左手に駐車場があり、少し登ると説明板と城址碑があり、ここから北城に入ります。
 
訪城備忘録

大和有数の山城です。郭・堀切・土塁ひとつひとつが大きく、迫力があります。石垣の痕跡もあり、北城は南城より新しいと言えるようです。主郭主要部の南斜面には畝状竪堀も認められます。ただ、主要部の下の郭郡は尾根上に放射状に配置されているのですが、なにかまとまりを感じなくて、現地を歩いていてもイメージがまとまりませんでした。

石碑と説明板
歴史

南北朝期に小さな砦が構築されていたようです。戦国期に入り、十市遠忠が永正三年(1506年)の大和国人一揆以降に本格築城を開始したとされます。天文年間(1532〜55年)に完成したようです。十市氏は遠忠の時が全盛期でしたが、天文十一年(1545年)に遠忠が死去し、急速に衰えました。遠忠の嫡男の遠勝の代になり、永禄十一年(1568年)に松永氏方の秋山氏に攻められ落城、遠勝は十市城に退きました。その後は、松永派の十市氏一族が守備、天正五年(1577年)、松永久秀が信貴山城で滅亡した後、翌年にこの城も織田信長の命で廃城になったとされます。


  虎口                     山中の堀切と土塁

  主郭                          坂虎口?
段郭                       畝状竪堀
山中の竪堀を見上げる                     山中の郭    

  

現地説明板より                       眺望    

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