奈良の小城04  

                                                                  

南郷環濠集落+南郷城  3845
北側水堀
城址碑
南側水堀
城址碑

A北葛城郡広陵町南郷 
B
奈良市・大和郡山市方面から来ると(西名阪自動車道の郡山インタ付近から約7km先) 国道24号線の保津西(高架です)を右折し県道14号線に入ります。約3.5km先、箸尾南の信号で左折します。約3km先が広陵町役場前の信号で、県道112号線を横断すると道がY字に分かれてますので、斜め左に入ります。約100m行った右手に「南郷環濠集落」の石碑があり、その背後は環濠の北側の水路があります。さらに約600m先が南郷の信号で、南郷の信号から約300m先に東西の道があってここが南端のようです。道を右折し西側に行くと稲荷神社があってここ水路も環濠跡です。稲荷神社西側から北側、定願寺までの約200m、そこでクランクしてL字に200mほども環濠が残っている感じです。東端の南北は水路がその痕跡のようです。
南郷城は南郷の信号から南へ約100m行ったところで左折し、約50m先を右折、道なりに約50m先を左折し、約60m先の右手、門扉のある空き地奥に城址碑があります。
ここの環濠集落は市街化してますが、稗田環濠集落よりずっと広いです。

C平城
F遺構等:郭・水堀・碑
G室町期?/南郷氏 
H満足度:凸+
南郷は興福寺の荘園であったところで大乗院の衆徒であった南郷氏が南郷の南東部に居館を築いていたとされます。戦国期、南郷氏は越智氏に与していたようです。江戸期に入り、南郷は徳川氏の直轄地となり、代官の北見氏が南郷城の跡地に陣屋を築いたとされます。

J訪城:2022/08
 南郷環濠集落碑の場所

 南郷城城址碑の場所
  
古寺環濠集落  3860
環濠水堀の痕跡
説明板
A北葛城郡広陵町南郷
B八坂神社
奈良市・大和郡山市方面から来ると(西名阪自動車道の郡山インタ付近から約7km先) 国道24号線の保津西(高架です)を右折し県道14号線に入ります。約3.5km先、箸尾南の信号で左折します。約1.4km先を左折すると右手が八坂神社です。 T字の所に説明板があり、八坂神社から南側の集落を取り囲むように集落の北側、正楽寺の西側から古寺郵便局までの南北に環濠の痕跡が残ります。

C丘城
F遺構等:郭・堀・説明板
G室町期/ 
H満足度:凸+

詳細不明です。

J訪城:2022年10月
  
   
松塚環濠集落+松塚陣屋  3842
神社東側水堀

名願寺のなめこ壁
A大和高田市松塚
B市杵嶋神社・名願寺・近鉄松塚駅
奈良市・大和郡山市方面から来ると(西名阪自動車道の郡山インタ付近から約11km先) 国道24号線の橿原市の土橋町南を右折し県道50号線に入ります。約1.6km先の松塚の信号で左折します。約3500m先が近鉄松塚駅で線路沿いに左折します。約200m先の右手が神社です。
松塚集落の南端の市杵嶋神社の東側、南側の水堀が良く残ります。松塚集落の東側で南北に県道50号線そばまでと県道50号線に沿って集落の北側に環濠の跡の用水路が続いています。

C丘城
F遺構等:郭・水堀・石垣? 
G戦国期?/−−氏 
H満足度:凸
元々は南北朝期には南朝系であった松塚氏の館があったようです。その後は環濠集落となり、江戸期に入り、延宝五年(1677年)に大和布施新庄藩の桑山美作守一尹が弟の一慶に1200石を分与し、一慶はここに陣屋を構え、明治維新まで続きました。

J訪城:2022/08
←環濠   ←陣屋?
池尻環濠集落  3843 
水堀
水堀
A大和高田市池尻
B池尻天神社
奈良市・大和郡山市方面から来ると(西名阪自動車道の郡山インタ付近から約11km先) 国道24号線の橿原市の土橋町南を右折し県道50号線に入ります。約3.5km先の信号で左折します。約200m先正面が池尻環濠集落です。東側水堀がしっかり残っていて、説明板があります。

C平城
F遺構等:郭・水堀・説明板 
G室町期?/ーー 
H満足度:凸
歴史は詳細不明です。

J訪城:2022/08