道案内  |
徳島市方面からは徳島自動車道を経由し、国道55号線をひたすら南下していくことになります。徳島インタから約90kmで日和佐駅(道の駅日和佐)です。さらに、日和佐駅から約33km先右手が阿波海南駅です。この駅はJR牟岐線と阿佐海岸鉄道阿佐東線の駅になります。阿佐海岸鉄道は2021年12月からデュアル・モード・ビーグル(DMV)が走っています。電車モードとバスモードで走れる車体です。この阿波海南駅から国道55号線を約1.2km先、新海部大橋で海部川を渡ります。渡ってすぐ信号を左折し約500m先、旧海部中の建物を過ぎた右手に城址碑、説明板があり、ここから登ります。
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訪城備忘録 |
廃校になった中学校の横に駐車場と碑と説明板があります。観音庵との間が切通になってます。その反対側を登って行きます。主郭から見て北西方向の尾根の段郭を登って行き、中腹の郭で南へ登ると主郭と言う感じです。中腹の郭あたりまでは太平洋が見渡せ眺望はいいです。以前より草刈りされて整備されているようです。段郭の切岸底部に石積みの痕跡のような箇所もあります。主郭はL字に掘り込んだ箇所があり、土塁となった東側やその掘り込んだ内側に石垣がありますが、どこまで当時のものかはわかりません。ここは戦時中に軍の設備があったようですので、その痕跡何のかもしれません。南側へ下りているとまた段郭が連なりますが、意図や遺構があるという感じではないです。南端には大きな堀切状がありますが、これも鞍部を近世に成形したものだろうなと思います。この大堀切から東側の住宅街に下りて、三つ筋の一番奥(山裾)に小さな祠と「御陣屋」という石碑があります。また、登り口までもどる道沿いに「判形人屋敷」の石碑もあります。
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麓の城址碑
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永禄年間(1558〜70年)に海部友光が築城したとされます。天正五年(1577年)に長曾我部元親に攻められ落城。天正十三年(1585年)、豊臣秀吉の四国攻め後に阿波は蜂須賀家政に与えられ、海部城には中村重友が入りました。阿波九城のひとつと言われました。(阿波九城/一宮城・撫養城・西条城・川島城・脇城・大西城・牛岐城・仁宇城・海部城) 元和元年(1615年)の一国一城令で廃城になりました。その後、代官が置かれ、麓に陣屋が置かれました。
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