阿波 撫養城



ファイルNo3215


            模擬天守                

@ むやじょう 
  別名 岡崎城・林崎城 

A住所:鳴門市撫養町林崎北殿町
B目標地点:妙見神社
C形式:山城  D比高:60m 
E現況:山林

F遺構等:郭・石垣・模擬天守・類似説明板
G時代/人物:戦国期/蜂須賀氏(益田氏)
H満足度: 凸+
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  5分

J撮影・訪問時期:2017年02月
         (2025年06月)

  

道案内 

神戸淡路鳴門道・高松自動車道の鳴門インターを下り、料金所を越え、信号を右折し国道11号線に入ります。約600m先の信号を左折します。約4.5km先、妙見山公園手前で右折します。道なりに約1km先の信号で左折します。約200m先を左折します。道なりに約1km先が妙見山の駐車場です。

訪城備忘録

城跡には妙見神社が建ち、山頂に三層の模擬天守が建っています。妙見神社の背後など、さらに斜面に石垣が見られます。蜂須賀氏が入って阿波九城のひとつとして築いた際には総石垣の城であったようでその名残があるようですが、どこまでが現存なのかがよくわかりません。

2025年、城ではないんですが、鳴門海峡の渦潮を大鳴門橋の歩道より見ました。中潮であったようですが、なかなかの迫力がありました。

妙見神社
歴史

築城者、築城時期は定かではないようですが、城主として小笠原氏の名があるようです。天正十年(1582年)、阿波まで進出した長曾我部元親により攻略され、真下氏を置いたとされます。天正十三年(1585年)、豊臣秀吉の四国討伐で元親は土佐一国に押し込められ、阿波には蜂須賀家政が入り、徳島城の支城として阿波九城を置き、撫養城もその一つとされ、異母弟の益田内膳正忠を置きました。寛永十五年(1638年)、一国一城令に従い廃城となったとされます。

斜面の石垣
鳴門海峡遠望
麓から模擬天守遠望
  
神社周辺の石垣
千畳敷の碑
本殿側面から背後の石垣
大鳴門橋から見る鳴門の渦潮
 
大鳴門橋方向
ウチノ海
ウチノ海の鏡島(別名:ハート島)

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