阿波 徳島城



ファイルNo3079


             本丸北面石垣            

@ とくしまじょう 
  別名:謂山城(いのやま)謂津城・寺島城

A住所:徳島市徳島町城内
    

B目標地点:徳島中央公園
C形式:平山城  D比高:60m 
E現況:公園・市街地

F遺構等:郭・石垣・水堀・復元門・碑・説明板
G時代/人物:戦国期/蜂須賀氏
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  20分

J撮影・訪問時期:2016年03月

  

道案内 

徳島自動車道の徳島インタを下り、国道11号線を南下します。約800m先で吉野川大橋で吉野川を渡ります。約1.6km先の信号で右折し、約100m先の信号で左折します。すぐの助任川を渡ったら右手に徳島中央公園の駐車場があります。

訪城備忘録

比高60mの城山に本丸をはじめ、東二の丸、西二の丸、西三の丸を配し、麓に表御殿、西の丸屋敷などを配した城でした。 時間が無い中の訪城で、東二の丸、本丸東石垣を見てなかったり、大手門、太鼓櫓の寺島川沿い(現在はJRの線路になってます)の石垣にある舌石を見てなかったりで抜け抜けの訪城でしたんで、再訪するつもりで個別城跡備忘録は作成してませんでしたが、どうも行けそうに無いので一応作成しました。
※舌石は屏風塀を支える支柱石であったようで、石垣から飛び出している石です。

東二の丸には天守があったようですが、今は郭面は広場状態で天守台石垣のようなものはないようですが、東二の丸下石垣や本丸東下石垣は徳島城の中では古い石垣であるようです。また、なぜ天守が本丸ではなく東二の丸に建てられたかは謎のようです。

歴史
蜂須賀家政公像

元々は細川頼之が至徳二年(1385年)に謂山城を築いたのが始まりとされ、天正十三年(1585年)、蜂須賀家政が寺島城と謂山城を併せて新たに築いた城と言われるようです。その後、江戸期を通じて阿波・淡路を領した蜂須賀家25万7千石の居城でした。


   鷲の門(復元)     下乗橋から大手枡形石垣
現地説明板より(現:徳島中央公園案内図)
現地説明板より(往時の徳島城)
  
数寄屋橋から数寄屋門(不明門)
数寄屋橋と旗櫓石垣と奥は隅櫓石垣
東面石垣<屏風櫓石垣>
東面石垣(緑色片岩の石で築かれている)と堀川
下乗橋と月見櫓石垣
徳島城址碑    鷲の門説明碑
  鷲の門(復元)
鷲の門(復元)
    下乗橋と大手門(黒門)枡形石垣
大手門枡形石垣(右の真ん中に赤い石=赤簾片岩)
海蝕痕
助任川
麓の石垣
麓の石垣
本丸北面石垣
本丸北面石垣
本丸北虎口
本丸
本丸       本丸弓櫓
本丸西虎口
弓櫓石垣 
本丸西虎口
本丸西虎口<馬具櫓石垣>
本丸西虎口<正面:馬具櫓石垣 右:弓櫓石垣>
帳櫓(とばりやぐら)石垣
西二の丸と西三の丸の虎口
西二の丸と西三の丸の虎口
西三の丸
西三の丸下石垣

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