阿波 一宮城



ファイルNo3000

阿波九城の一つ、自分的訪城数3000城目の城

                            本丸石垣と石段

@ いちのみやじょう 
  別名  

A住所:徳島市一宮町赤坂西山
B目標地点:大日寺・一宮神社
C形式:山城  D比高:120m 
E現況:山林

F遺構等:郭・石垣・堀・堀切・竪堀・碑・説明板
G時代/人物:南北朝期/一宮氏
H満足度: 凸凸+
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  一宮神社から20分

J撮影・訪問時期:2017年02月

  

道案内 

徳島自動車道徳島インタを下り、国道11号線を徳島市内に南下します。約3km先(吉野川を渡って約800m先)の北常三島町の信号で右折し県道39号線に入ります。途中県道30号線に直進します。約6.5km先の信号で左折し県道1号線に入ります。800m先の徳島大学薬学部前の信号で右折し国道192号線に入ります。約1.8km先の信号で左折(鮎喰川沿い)県道21号線に入ります。約8km先の信号で県道21号線はやや右折です。約1km先、右手大日寺、左手一宮神社です。この先の左手に大日寺の駐車場です。 <徳島インタから約21km先>
 
訪城備忘録

四国八十八ケ所の十三番札所の大日寺の向かいの一宮神社から登ります。道は整備されてますので問題なく登ります。この城、私の城巡りで自分的訪城カウント数で3000城目ということで訪城しました。道は石段になっていて中腹まで登ると倉庫跡があります。そこから本丸方向に進むと竪堀という標識がありますが、明瞭とは言えないです。すぐに右手上に郭がありますが、なかなか広い郭です。さらに進みますが、この道に石積み跡が続きますが遺構でしょうか?才蔵丸手前で大きな切岸が正面にあり、この上が才蔵丸です。道はおおきく右手に曲がりクランク状に登ると才蔵丸と明神丸の間の堀切に至ります。堀切ですが堀底道で才蔵丸の平虎口が接続しています。才蔵丸も東西に細長い郭ですが広いです。さきほどの堀切の南側の大きな竪堀があり、これはけっこう明瞭です。

そのまま登城道を進みますと門跡に至ります。門跡には石段が残っています。門跡から右手が明神丸、左手は本丸方向です。明神丸の虎口にも石段が残ってます。明神丸は南北に長い△のような郭です。ここからは眺望もいいです。郭も広いんですが、石垣や土塁はないです。ここの北側下には堀切・竪堀があるようですが、急斜面と藪で下りられません。 門跡に戻り西方向に帯郭を抜けると本丸です。本丸部分は周囲に石垣があり、高さも3mほどありますので、今まで写真を見て想像していたものよりすごく大きく立派な石垣です。正面に本丸への石段があり、南側、及び東側は折れのある石垣になってます。さらに、本丸北側下の段にも石垣が残っていますが、急斜面と藪で下りるのは危険ですので断念しました。

本丸を後にしてさらに南へと下りて行きます。 道の左手上には郭が連なり、わりと明瞭な堀切も残ります。さらに進むと右手に小倉丸です。本丸から谷を挟んでU字に来た感じです。このあたりからさらにシダが生い茂り、遺構を見る事が出来にくくなってきます。小倉丸もこの城にはめずらしい大土塁がありますが、土塁の上を歩くのがせいぜいで、遺構を見ると言う雰囲気では無いです。小倉丸の西側には空堀、竪堀も残りますが、シダでほとんど見られませんでした。ここからひとつピークを越えて北側に向かうと椎丸、その先に水の手丸ですが、道もシダに覆われていて、とでも進めたものではないんであきらめました。椎丸の入口は浅い堀切・土橋になっているように見えました。ここから、右手の谷部に下りて行くと貯水池跡になります。谷筋を進んでいくと岩盤の崖に至ります。ここを貯水池からの水が滝のように落ちます。蔭滝と呼ばれます。正面からこの岩盤を見ると攻める気にならんですね。この城、縄張り的には戦国の香りがしますが、大改修もされているからか、ひとうひとつの郭が広く、想像していた以上に城域も広かったです。加えて、本丸の総石垣も想像以上に大きく、迫力のある石垣でした。やっぱ実際に見ないと迫力を実感できないなって思いを新たにしました。なかなか良好な城跡です。

麓登り口の城址碑
歴史

阿波守護の小笠原長久の子の長宗、あるいは、その子の成宗から一宮氏と名乗ったようです。城は、南北朝の時期に一宮氏によって築かれたとされます。その後、一宮氏が代々居城とし、守護細川氏に従い、天文二十二年(1553年)、三好義賢が守護細川持隆を殺害、以後、三好氏に従いました。天正元年(1573年)、一宮成祐は三好長治から離反、細川真之に同調し、三好氏と対立しました。土佐の長曽我部氏が阿波に進出、天正十年(1582年)、成祐は長曽我部元親に謀殺され一宮氏は滅びました。阿波は長曽我部氏が制圧しましたが、天正十三年(1585年)、豊臣秀吉の四国攻めの際、豊臣秀長軍に攻められ、元親の家臣の谷忠澄は一宮城を開城しました。同年、蜂須賀家政が入城、城を大改修しましたが、翌天正十四年(1986年)、家政は徳島城を築き、本城を移し、一宮城は支城として機能しましたが、寛永十五年(1638年)に廃城になりました。

追加写真ページへ⇒⇒⇒☆☆☆
門跡と石段          本丸石垣
現地案内板より
  
眺望
本丸石垣
堀切
本丸石垣
本丸石垣
追加写真ページへ⇒⇒⇒☆☆☆

近くの城・関連の城:徳島城