日向 門川城



ファイルNo4254


              城跡遠望              

@ もんかわじょう 
  別名 狗山城 

A住所:東臼杵郡門川町門川尾末
B目標地点:
C形式:丘城  D比高:20m 
E現況:山林

F遺構等:郭・堀・土塁・標識・説明板
G時代/人物:戦国期/伊東氏・米良氏
H満足度:途中断念
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  ーー分

J撮影・訪問時期:2025年09月

  

道案内 

東九州自動車道の門川インタを下り、国道10号線に入り南下します。約4km先の門川町中須の信号で右折し国道388号線に入ります。約2km先を斜め右に進みます。(門川町小園の信号まで行ったら行き過ぎです。) 集落入口に門川城の標注が立っています。約100m先を右折するとすぐの左側に説明板が立っています。ここより城跡に入ります。堀跡の土塁を歩く感じで進むと堀にある土橋のところにでます。 集落内は道が狭いため車の場合は駐車位置が問題になります。集落外の広い所を探して停めてください。

訪城備忘録

国道388号線から集落に入る入口に城跡の標注が立ちます。説明板のところから城跡に入るのですが、元々は堀跡が畑であったようですが荒れてます。なんとか周囲の堀と土橋は確認できたんですが、主郭に登る場所がわからず、直登しようにも藪がきつくて無理です。残念ながら断念しました。

登城口の説明板
歴史

築城時期。築城者は定かではないようですが、文明年間(1469〜87年)に伊東祐景が築いたとされるようですが、史料には、長禄元年(1457年)、土持氏が伊東氏にこの城を譲ったという記述もあるようです。伊東義祐の最盛期の永禄年間(1558〜70年)、伊東氏の支城を伊東四十八城とされ、門川城もその一つとされ、永禄年間の城主は米良四郎右衛門尉であったとされます。天正五年(1577年)に伊東氏が島津氏に追われ豊後に落ち延び、天正六年(1578年)の耳川の戦いで伊東氏を支援した大友氏が島津氏に破れた後、日向は島津氏が領有し、門川城には島津氏の家臣の伊地知丹後守重政が地頭として在城しました。天正15年(1587年)の豊臣秀吉の九州討伐で島津氏は降伏し、この地は高橋元種の領内となりました。廃城は元和元年(1615年)の一国一城令によると言われます。

土橋を横から       堀跡     
現地説明板より
  
   集落入口の標識     土橋から反対側の堀
主郭方向を見上げる

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