日向 綾城



ファイルNo4249


            木造模擬天守(大櫓)            

@ あやじょう 
  別名 竜尾城 

A住所:東諸県郡綾町北俣
B目標地点:綾国際クラフトの城
C形式:山城  D比高:40m 
E現況:公共施設・山林

F遺構等:郭・堀切・堀・土塁
   ・模擬天守(大櫓)・模擬門・説明碑

G時代/人物:鎌倉期末/細川氏(綾氏)
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  駐車場から10分

J撮影・訪問時期:2025年04月

  

道案内 

東九州自動車道の宮崎西インタを下り、国道10号線に入ります。約9km先の綾入口の信号を右折し県道358号線に入ります。約9km先、綾町揚の信号で右折し県道26号線に入ります。約800m先の綾町役場前の信号を左折し県道360号線に入ります。約500m先、開元橋を渡ってすぐを左折します。約1km先を左折して登ると駐車場です。ここから歩道橋を渡って綾国際クラフトの城の奥が城跡です。なお、入場は有料で、2025年9月現在は350円です。

訪城備忘録

国際クラフトの城の施設になっていることもあるのかもしれませんが、改変も多いのかもしれませんが、縄張的にはあまり遺構は残っていない感じもします。9月での訪城でしたので、草が伸びていて堀は見にくい状態でしたのでそれも影響しているんだと思いますが・・・。

主郭に立つ模擬天守(大櫓)は日本城郭協会の戦国初期の考察で設計され、地元の木材を使って建てられたものだそうです。当時にこのような大きな建造物はなかったとは思いますが、丸岡城の天守のような佇まいで、天守内(大櫓)の木組みもしっかりしたものです。

歴史
説明碑






鎌倉末期の元弘年間(1331〜34年)、足利尊氏の家臣であった細川小四郎義門に下向が命じられ、義門の子の義遠がこの地に入り、綾城を築城し、綾氏を名乗りました。綾氏は数代(七代or八代)続き、文安六年(1449年)〜文明十一年(1479年)<八代将軍足利義政の時代>の間で都於郡城の伊東氏に従ったようです。綾城は佐土原遠江守が城主となり、天正五年(1577年)、島津氏に敗れた伊東氏は大友氏を頼って豊後に落ちていきましたが、最後まで島津氏に抵抗したようです。その後は島津氏の支配となり、家臣の新納久時が入りました。元和元年(1615年)の一国一城令で廃城になりました。



      空堀      堀切に架かる橋
模擬天守(大櫓)からの眺望
模擬天守(大櫓)
模擬天守(大櫓)からの眺望
麓から模擬天守(大櫓)を遠望
  
模擬冠木門     模擬城門
空堀      土塁?
模擬天守(大櫓)前の堀切と橋
模擬天守(大櫓)
模擬天守(大櫓)
模擬天守(大櫓)
模擬天守(大櫓) 
模擬天守(大櫓)望楼
模擬天守(大櫓)内部<奥:伊東義祐・中:佐土原遠江守・手前:田中國廣> 
模擬天守(大櫓)内部<刀工田中國廣作品>
模擬天守(大櫓)内部<展示物の兜と鎧>
模擬天守(大櫓)内部<展示物の兜と鎧>
模擬天守(大櫓)内部<木組み>
模擬天守(大櫓)内部<太い梁>
模擬天守(大櫓)内部<木組み>
四の郭の駐車場と三の郭との間の道(往時は堀)

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