大隅 冨隈城



ファイルNo4238

島津義久が鹿児島内城を出て、居住した城

             居館部東側石垣               

@ とみのくまじょう・とみくまじょう 
  別名  

A住所:霧島市隼人町住吉
    旧:姶良郡隼人町

B目標地点:冨隈稲荷神社・稲荷山公園
C形式:平山城  D比高:10m 
E現況:通信施設、神社、公園

F遺構等:郭・石垣・堀・碑・説明板
G時代/人物:戦国期/島津氏
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  5分

J撮影・訪問時期:2025年09月

  

道案内 

東九州自動車道の隼人インタを下り、信号で右折し県道58号線に入ります。約200m先の国道233号線入口の信号を直進、国道10号線を横切って、国道233号線に入ります。約300m先を右折し路地に入り、約200m先を左折した左一帯が城跡です。南側は石垣があり、北側は稲荷山と冨隈稲荷神社と児童公園があります。
 
訪城備忘録

北側は児童公園で遊具がありますが草ぼうぼうです。その南側に冨隈稲荷神社で、その西側の小高い丘が稲荷山で冨隈城の本丸になりますが、やはり草ぼうぼうです。遺構らしきものは無いです。中間の東側、神社の鳥居があり、ここが大手門のようです。稲荷神社の参道石段の登り口の右手に説明板、左手に城址碑があります。 大手門の南側は四方を石垣で築かれている居館跡です。今は東側の石垣、南側、西側と北側の一部の石垣が残っている感じです。今はNHKの施設になっていて中には入れません。この施設の入口も石垣が築かれており、往時も虎口であったようです。 石垣は肥後八代の石工が積んだとされます。南東隅には加藤清正から贈られた清正石があるようですが、見落としたかも・・・^^; 隅石垣は算木にはなっておらず、大石を積み上げた感じです。居館の虎口の東南側は立石になってます。東南側居館の東側は一段下がった長い平坦地があり、堀跡に見えます。 稲荷山は防御施設にもならない小丘で、、居館側石垣も低くて防御性は無いです。鹿児島の平地の城は石垣があるものの防御性には乏しい城が多い感じはします。

城址碑
歴史

文禄四年(1595年)、豊臣秀吉の裁定で、大隅を島津義久、薩摩を島津義弘の領地と定められたため、義久は冨隈城を築いて鹿児島内城より移りました。慶長九年(1609年)に国府城を築いて移ったため冨隈城は廃城になりました。

         堀跡?      居館虎口東南部石垣
  
大手門      説明板
稲荷神社の参道石段<右端:説明板 石段左:城址碑
丘側の石垣
稲荷山
児童公園側
大手門の居館側石垣
居館城門東側石垣
居館城門東側石垣
矢穴とハツリのある石垣

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