土佐 内田城



ファイルNo3878

圧倒する堀切、堅堀が残る城

              巨大な堀切              

@ うちだじょう 
  別名  

A住所:高知県安芸郡東洋町野根丙
B目標地点:了徳寺・野根中
C形式:山城  D比高:100m 
E現況:山林

F遺構等:郭・堀切・堅堀・堀・土塁・石垣
G時代/人物:鎌倉期?/野根氏
H満足度: 凸凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  麓から20分

J撮影・訪問時期:2022年11月

  

道案内 

徳島市方面からは徳島自動車道を経由し、国道55号線をひたすら南下していくことになります。徳島インタから約90kmで日和佐駅(道の駅日和佐)です。さらに、日和佐駅から約50km先が道の駅東洋町です。道の駅東洋町から国道55号線をさらに約8km先、野根の信号で右折し国道493号線に入ります。野根川沿いを約2km先、野根中を越えたところで国道は左方向で押野橋を渡りますが、右手方向の県道101号線に入ります。約1.2km先、鴨田橋手前で右折し野根川沿いを進みます。約1.5km先を右折した約200m先、左手が集落、右手の山が城跡です。 

 <高知市内方面からは国道55号線、(途中からの国道493号線は相当に狭いようなので避けた方がいいとの事)で向かいます。> 

訪城備忘録

主要郭群として、山頂郭、その下の土塁囲みの主郭、さらにその下に幅があって大きなLの字状の南の郭があり、この三つの郭が中心となります。山頂郭の北側に巨大な堀切と堅堀、北の郭を挟んで北端に二重堀切があります。南側は南の郭の南西側に二段の段郭と西斜面に落ちる大きな堅堀が二条あり、南東側には南の郭から虎口を下りたところの郭のさらに下に両端に堅堀を伴う円弧上の明瞭な横堀があります。全体的に諸所に石垣が残り、段郭から中心郭へ、中心郭内でも虎口がよくわかるのがこの城の特長でもある感じです。

麓のお寺の方に山に入ることを了解いただき、駐車までさせていただきました。後で分かったんですが、了徳寺前の道を奥に進んで登っていくと北端の堀切に至るようですが、今回はわからなかったので、南麓の墓地横から斜面に取り付き、比高で約80mほど直登しました。

直登と段郭までの遺構  南西段郭と長大な堅堀
やや西側(やや左手)を登って行きましたら竪堀の下に到達しました。 (帰りは円弧の横堀の南端から右手下方向に下りて行きましたら岩の部分に出ました。) 
最初に出会った竪堀でわりと明瞭で長いものでしたんで、これだけでも歓喜でしたが、後から見る遺構からすると序の口でした。竪堀横を登って竪堀の上に出て右手上へ登って行きます。通路っぽくなっていて上へ続いていて、諸所に残存石積みがあります。南西の段郭下にはわりと規模の大きな石垣が残って巨石と石積みで虎口形状が形成されていました。段郭下の段は平坦度も有、広いです。その北側斜面にまずここの城で1条目の長大な竪堀が横たわっていました。段郭の上の郭の下から麓に向かって幅も深さもある巨大な竪堀でやや右に曲がりながら落ちています。竪堀の側面には石積みも確認されます。

主要部
段郭上の段から登ると虎口から主要部の南の郭に入ります。幅があって削平度も良い大きな郭です。北側端に幅も深さもある大きな堅堀が1条落ちています。東側へ行くと下へ下りる虎口がありますがこれは後で行きます。南の郭の上が土塁に囲まれた主郭があります。北側は山頂郭との切岸になっていて石垣があります。虎口は南の郭から入る西の虎口と南の郭の東端から北への通路があり、東へ落ちる堅堀の手前を上に登ると主郭の東の虎口があります。主郭の北側切岸の上、山頂郭の下の間に踊り場的な通路上の平坦地があり、これは主郭の東西の土塁上平坦地、山頂郭の西下にの通路と連結しています。山頂郭は東端から登ります。ここにも石垣が残ります。山頂郭は面積的には主郭とほぼ同くらいの規模で、土塁はなく北側東端に高まりがあり櫓台のようです。

山頂郭の北側がこの城の最大の見どころです。巨大な堀切から東西に堅堀が落ちていますが、特に西側は、堀切すぐ下から二重になって落ちています。堀切の高低差も10mくらいあるかもです。西側に落ちる二重の堅堀は真ん中の隔てる土塁も含め本当に巨大で明瞭で鋭いです。東側は幅としては西側より狭いですが急斜面を落ちる感がすごいです。 この巨大堀切・堅堀の北側に北の郭があります。細長い規模的には小さな郭です。西側斜面に落ちる堅堀は規模的には小さいですが、北に郭下が二重で、途中から合流して斜面を落ちています。 北の郭の先は高い斜面を下りると二重堀切があります。規模的には山頂郭と北の郭の間の堀切・堅堀に比べると規模は小さいですが北の郭の切岸とで防御的には充分に見えます。また、堀切は横堀のごとく尾根幅に横たわっている感じで堅堀は短いです。二重堀切の外側の堀切は、後年、切通として使われているようで、お寺からの道はここに繋がっているようです。 二重堀切の北側は城域外になるようでまた斜面が登っています。ただ、後年の畑地跡であるようで石垣が何段かに分かれて積まれていますが、石垣の高さもあり石も大きく、これが畑地の石垣かぁ?というくらいにりっぱです。

南東側遺構
主要部南の郭に戻り、南の郭の南東側虎口から下に下ります。折れのある城道のようで虎口を出るといったん左に曲がり、途中で右に折れて下の郭に至ります。この南東郭は郭構成が不明瞭な感じはしますが何段かある低い切岸斜面に石垣が残ります。この南側南東郭の下に両端は堅堀が落ちている円弧上の横堀が残ります。武田氏にある丸馬出しとその外側の三日月堀を思わせる奇麗な円弧の横堀です。

規模的にはけっして大きな城ではないですが、郭内の削平度はしっかりしたもので、堀切、堅堀はホントに巨大で明瞭で今でも鋭い遺構が残っています。

直登登り口
歴史

築城時期は定かではないようです。野根氏の城と推定されますが、現在見る遺構は、阿波攻略のための拠点として長曾我部氏の手で改修されたものと考えられるようです。

巨大な堅堀       主郭内と土塁・切岸
地理院地図より(加筆)
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巨大な二重堅堀
主要部南東側虎口下郭の石垣
城域南東端の円弧を描く横堀
城跡遠望(手前の山)
手前の山が城跡で麓の手前墓地が直登地点
「海の駅東洋町」の浜辺
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