讃岐 天神山城



ファイルNo3451


                    石垣?と標識            

@ てんじんやまじょう 
  別名  

A住所:三豊市仁尾町仁尾
    旧:三豊郡仁尾町

B目標地点:天神山・磯菜天満宮・仁尾港
C形式:丘城  D比高:30m 
E現況:神社・山林

F遺構等:郭・石垣?・説明碑
G時代/人物:戦国期/吉田氏
H満足度: 凸+
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  仁尾港前神社鳥居から8分

J撮影・訪問時期:2018年09月

  

道案内 

高松自動車道のさぬき豊中インターを下り、国道11号線に右折します。約1km先の信号で左折し県道35号線に入ります。約2.8km先で予讃線を越えて、その先の信号で右折し、約500m先のY字信号で斜め左に入ります。200m先で左折し県道271号線に入ります。約8km先の信号で県道21号線と合流し、右手北へ進みます。約1.6km先の信号で県道21号線は右折です。(右折して約500m先左手が覚城院で仁尾城跡です。)この信号を直進して約800m先で左折し仁尾港に入ります。約300m先の正面小山が城跡です。
 
訪城備忘録

夏場という事もありましたが、郭はよくわからなかったです。本殿裏手に大規模な石垣があり、天神山城の石垣遺構という石碑が立っています。しかし、なにか唐突です。石垣の奥にも登ってみましたが、やはり郭という感じはないです。この石垣以外にも斜面に小規模な石垣が残るところが2か所ありましたが、本殿裏の石垣も斜面の石垣も城の遺構かな・・?確信が持てませんでした。^^;

鳥居横の説明碑
歴史

築城時期、築城者は定かではないようです。戦国期の天正時期は香川氏の家臣の吉田兼近が城主であったようです。天正七年(1579年)、長曾我部元親勢の侵攻で落城しました。

神社への石段     石垣遺構?
石垣遺構?
  
石垣遺構?
東屋からの眺望
3450 
仁尾城
            寺の山門への石段と城址碑
@ におじょう 
  別名 仁保城 

A住所:三豊市仁尾町仁尾
    旧:三豊郡仁尾町

B目標地点:覚城院
C形式:丘城  D比高:20m 
E現況:寺

F遺構等:城址碑
G時代/人物:戦国期/細川氏
H満足度:
凸+
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  駐車場から10分


J撮影・訪問時期:2018年09月

県道の寺から100m手前にお寺の駐車場があります。寺の山門の石段にところに仁尾城の城址碑があります。遺構は無いのですが、地形、寺の石垣・白塀・・・城そのものという佇まいです。本堂手前の石段前に寺の由来が書かれた石碑がありますが、ここにも細川頼弘の城跡と記されています。

歴史:築城時期、築城者は不明です。戦国期に天霧城の香川氏の家臣の細川土佐守頼弘が在城した城です。天正七年(1579年)、長曾我部元親勢の侵攻で落城しました。


近くの城・関連の城: