筑前 名島城



ファイルNo3509

小早川隆景の海城も今は面影も無し

              発掘石垣              

@ なしまじょう 
  別名  

A住所:福岡市東区名島1丁目15
B目標地点:名島城址公園・名島神社
C形式:平山城(海城) D比高:20m 
E現況:公園・神社・宅地

F遺構等:発掘石垣・碑・説明板
G時代/人物:戦国期/小早川氏
H満足度: 凸+
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  西鉄名島駅から徒歩20分

J撮影・訪問時期:2018年12月

  

道案内 

九州自動車道の福岡インタを下り、国道201号線を進みます。(都市高速でもいいのかな) 約5km先の松島の信号を直進します。さらに、約2.5km先、箱崎ふ頭中央入口の信号で右折し国道3号線に入ります。 約1.8km先、名島の信号を左折します。約400m先、国道事務所前の信号を斜め右折します。約400m先が名島三丁目の信号です。信号を越えてすぐを左折し坂を登ります。300m先を斜逆V字で右折した100m先が城跡ですが、周囲は道が狭く車は停められません。(名島神社側にはスペースがあるようですが・・・。) 西鉄名島駅からは徒歩20分程度です。

訪城備忘録

現在、名島三丁目の信号から左手の小高い丘(周囲は住宅地)の頂部、天守周囲のみが城址公園として整備されており、その周囲は名島神社、宅地などになっており、当時の遺構はないに等しい感じです。この城は本丸と二の丸、三の丸を取り囲むように入り江があり海城であったようです。城址公園には発掘調査で発見された大手の石垣、隅櫓の石垣が展示されているのがわずかに城跡の形を見ることができます。福岡城内に名島門と呼ばれる門、博多区の崇福寺に唐門が移築されてます。

城址碑
歴史

天文年間(1532〜55年)に立花山城の立花鑑載(あきとし)が出城として築いたのが始まりとされます。天正十五年(1587年)に九州を平定した豊臣秀吉より小早川隆景が与えられ、いったんは立花山城に入るも名島城を大改修してここを居城としました。文禄四年(1595年)、隆景が隠居し三原に帰り、養子の秀秋(当時は秀俊)が三十万七千石の家督を相続しました。慶長五年(1600年)の関ケ原の戦いの結果、秀秋は岡山五十一万石に転封となり、黒田長政が入るも、名島城は城下町拡張の余地が少ないため福岡城を築城、慶長七年(1602年)には名島城は廃城となりました。

隅櫓
大手発掘石垣
  
大手発掘石垣
大手発掘石垣
  大手発掘石垣    福岡城に移築された名島城の門(名島門)

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