伊予 横山城



ファイルNo3402


          五条目の堀切と土橋 

@ よこやまじょう 
  別名  

A住所:松山市麓
B目標地点:松山市野外活動センター
C形式:山城  D比高:200m 
E現況:山林

F遺構等:郭・堀切・竪堀・土塁・碑・説明板
G時代/人物:南北朝期/河野氏
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  松山市野外活動センター体育館前10分

J撮影・訪問時期:2018年03月

  

道案内 ←登城口

松山自動車道松山インタを下り、国道33号線に左折して松山市内中心部に向かいます。3Km先の天山の信号で国道は右折です。1.2Km先の小坂の信号で左折し国道11号線(伊予バイパス)に入ります。2.4Km先の勝山の信号で右折し国道317号線に入ります。約15km先、黒田橋の手前で斜め左折で県道179号線に入ります。約6km先、菅沢町の信号で右折します。約2km先で右手ゴルフ場への道ですが松山市野外活動センターへ向かいます。センター内を1km先で一方通行路で左回りになってます。2/3廻ったところに体育館があり、その前に登り口があります。 松山市野外活動センターは月曜日が休館日ですので、ご注意ください。
 
訪城備忘録

登城口から上に登ると説明板があり、右手に進みます。すぐに堀切土橋があります。これがなかなかいい感じです。ここから連続堀切3条、その先に連続堀切2条ち続きます。その先で左手に廻り込みます。斜面を進み、再度尾根を進みます。尾根には浅い堀切が2条ほどあり、その先は岩山があり、ここを越えると主郭です。主郭は異空間のような隠里のような空間でした。

登城口
歴史

建武年間(1334〜38年)、湯築城を築いた河野通盛が湯築城の背後の防御のためにこの城を築いたとされ、一族の河野通武を入れたとされます。通武の子孫は南氏を名乗り代々この城を守りました。天正十三年(1585年)、豊臣秀吉の四国討伐の際、小早川隆景に攻められ落城したとされます。

四条目の堀切      連続堀切と尾根先端 
  
一条目の堀切と土橋
二条目の堀切
   斜面から尾根       主郭前の尾根と浅い堀切
主郭手前郭
主郭手前岩山斜面
岩山から主郭を見る     主郭の太鼓岩と城址碑

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