伊予 荏原城



ファイルNo1487


                   虎口土塁             

@ えばらじょう 
  別名 恵原城・平岡城・会原城 

A住所:松山市恵原町
B目標地点:
C形式:平城  D比高:ーm 
E現況:公園風

F遺構等:郭・土塁・水堀・石積・碑・説明板
G時代/人物:南北朝期?・室町期/怱那氏?・平岡氏
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  2分

J撮影・訪問時期:2006年05月・2016年03月
            2018年03月

  

道案内 

松山自動車道の松山インタを下り、松山市内方面にでます。次の信号で右折し国道33号線を南下します。約3.2km先、側道から拾町交差点で左折し県道23号線に入ります。約3.4km先の信号で右折し県道207号線に入ります。約2.2km先の信号で右折し、300m先で左折します。水堀沿いを150mほど進み右折し、50mほど先右手が主郭虎口です。
 
訪城備忘録

地図をけっこう広域サイズでみてもここの城の水堀が判ります。基本は単郭の城で高い土塁が四方を巡り南に虎口があって、その外側の四方を水堀が巡ります。北側土塁の基壇側に石積み痕跡も見つめられました。美しい城館という感じです。

城址碑と説明板
歴史

築城時期は定かではないようですが、建武二年(1335年)、南朝方の怱那氏が会原城で北朝方の大森氏と戦ったという記録があるようですので、それ以前から城はあったようです。室町期に入り、河野家十八将の筆頭と言われる平岡氏の居城でした。天正十三年(1585年)、平岡道倚(みちより)の時、四国進攻した豊臣秀吉軍に攻められ落城したとされます。

東の土塁         西の土塁と水堀
  
東の土塁上
主郭内から北側と東側の土塁
主郭内から北側の土塁
主郭内から北側と東側の角
水堀
新張城
土塁
@ にいばりじょう 
  別名 

A住所:松山市恵原町
B目標地点:久谷中学・新張バス停
C形式:平城  D比高:ーm 
E現況:田畑

F遺構等:郭・土塁
G時代/人物:室町期?/土岐氏?・平岡氏
H満足度: 凸+
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
 新張バス停から5分


J撮影・訪問時期:2018年03月

荏原城の西側の県道194号線、恵原のバス停から県道を南下し約1.2km先、新張のバス停の先が逆Y字になっていて戻る感じで左折し20m先の細い道に右折し150m先の左手が城跡です。
久谷中学の北西300mほどのところにあたり、田畑の真ん中に土塁が残っていて土塁の上に祠があります。土塁の南側は堀のような窪地が土塁に沿ってありました。館の一部が残っているという感じです。
城史は不明のようで荏原城の平岡氏の支城であったようです。

土塁            土塁裏手堀?

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