紀伊 寺中城



ファイルNo4040

登城には危険な城 訪城には充分ご注意をしてください

            主郭北側横堀            

@ てらなかじょう 
  別名  

A住所:海草郡紀美野町小畑
    旧:海草郡野上町

B目標地点:野上八幡宮
C形式:山城  D比高:160m 
E現況:山林

F遺構等:郭・堀・堀切・竪堀・土塁
G時代/人物:戦国期/寺中氏
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  野上八幡山から30分

J撮影・訪問時期:2024年05月

  

道案内 

阪和自動車道の海南インタあるいは海南東インタから国道370号線で約13kmほど、国道370号線旧道沿いに野上八幡宮があります。鳥居から右手に廻り込むと駐車場に入る入口があります。

あるいは、国道24号線の鳥子川橋東詰めの信号(紀の川市打田)で国道424号線に入ります。道なりに約16km先、野上新橋西詰めの信号で左折し国道370号線に入ります。約1.6km先を左手に入ったところが野上八幡宮です。 (さらに、国道424号線の七山の信号で左折し県道10号線に入り、道なりに進み、紀美野町役場の先の動木の信号で国道370号線旧道に入り、約600m先右手が野上八幡宮です。)

野上八幡宮内の駐車場の向かいに細い道があります。(野上八幡宮の外の道ではなく、中の道です。) 車1台くらいの幅のコンクリート道を登ります。けっこう急な坂ですし、すれ違えるところも待機所も無いです。2回分岐しますが、2回とも左に登ります。(2回目の分岐を右手へ行くと八幡宮の祈祷所に至ります。) 野上八幡宮から山道2kmくらいで尾根の広場につきます。 

訪城備忘録

寺中城は明確な登城道がありません。他の方のサイトを見ますと、@野上八幡山本陣の東端から急斜面を下り、貯水池のコンクリート堤防を越え、そこから斜め右の城域に登るというルート、A埋谷橋の所から山に向かって入り、(すぐに藪になるようです) 谷川沿いの左側を登り、中腹の祠まで登ったら適当に谷川を渡り右側尾根を谷川沿いに登って行くルートが紹介されています。ただ、2022年12月時点ではコンクリート堤防が藪藪で通れるものでないとか、谷筋も最初は藪がきついとかの情報でしたので、どう行こうかと迷いました。

結果としては、野上八幡山本陣の東端で、ピンクリボンが北側斜面へ2か所括ってありましたが、前述の情報や下がどうなっているのかの情報も無いので、北斜面を下りないで東斜面を下りることにしました。斜面は急でした。途中、中腹を巻いている古道がありましたが、倒木、藪で、ここを通るよりはとそのまま斜面を下りました。尾根東端から比高で約50mほど斜面を下りきると谷川にぶつかりました。(水量は少なかったです。) 左手を見上げると貯水池からの流れであるように見えますが、相当にきつい急斜面で倒木や岩場で貯水池堤防までは登れませんでした。結局、谷川を越えて右斜め側へ少し登ると寺中城の中腹を巻く道に当たりました。<雨の後とかは水量も多いと予測しますので谷川を渡るのは注意が必要です。> よくよく見ると青い杭が打たれてます。斜面を登って行くと鞍部に到達し、この右手方向が城跡です。 この青い杭の道は谷川沿いに麓に向かって途中までありますが、その先は竹藪、竹藪の左側は果樹園のフェンスが延々と続いていて乗り越えられません。ここまで来て谷筋を反対側へ行こうにも岩場の斜面で谷川に下りることができませんので、中腹より上で谷川を反対に渡り、反対側を下りる必要があります。谷川を下りるとこんな感じですが、帰りも来た通りに野上八幡山へ急斜面を登りなおした方が無難かもしれません。尾根東端から斜面、谷川から貯水池方向、谷川から城跡方向などの写真は、この時間帯、どうなるかわからずで、気持ちの余裕がなく、写真を撮ることもできませんでした。(笑)

さて、城跡ですが、丸っぽい主郭と東尾根の長方形な東郭のほぼふたつの郭で構成されています。 尾根鞍部から少し入ると西側の城域端です。すぐ右手に深い横堀が目に入ります。左側は帯郭状になってます。この帯郭はすぐに切れます。主郭は歪な円形です。中央がやや高くなってます。ここの最大の遺構は、主郭の北側から南側まで主郭を巡る横堀、それに伴う土塁、薄くなってますが、東郭の南側から主郭の南側まで伸びる横堀で、南側は内側の横堀との二重横堀になってます。東側は東郭が伸びていて、東端は堀切になっており、その南端から南東側に明瞭な堅堀が落ちています。その横から南側の横堀が繋がっています。

小さな城ですが、深くて大きな横堀がしっかり巡った城跡でした。

野上八幡山本陣は、広場から鉄塔の先までが城域のようです。八王子神社という小さな祠もありますが、ここは一段高く櫓台的な役目かも。いったん尾根を下えり、その先に鉄塔がありますが、斜面途中の左側に郭跡があり、その先に堀切が残ります。反対側は破壊されたようで半分しか残ってません。鉄塔からさらに東に向かうとゆるい傾斜の平坦地があり、いったん下がって再度上ると東端に到達します。東端も広い平坦地ですが城域でないようです。

歴史
野上八幡宮本殿




築城時期は不明ですが、野上荘の下司(荘官)であった寺中氏の城と伝わります。史料には、寺中氏は寺中幸左衛門、下司に寺中杢之祐入道智房という名があり、その後、寺中氏は、天正年間に所領を失ったとあるようです。当地は高野山領に隣接していて、高野山勢力ではありましたが、天文十年(1541年)に根来衆が野上八幡宮を襲撃したという記録もあるようで、根来衆や雑賀衆に結びついた勢力との抗争が続いたとみられます。野上八幡山本陣は高野山勢の臨時の陣城であったようで、寺中城と一体で機能したようです。

主郭南側横堀    主郭東側横堀
野上八幡宮から遠望(左の電柱の真後ろに見える山が寺中城)
地理院地図より
<青点が他のサイトのルート二通り、緑点が私のルート、水色線は谷川>
  
西側鞍部から城域を見る
主郭西側から南側に伸びる主郭切岸・横堀・土塁<右手>
主郭北西下帯郭
主郭北西下帯郭土塁
主郭
主郭
主郭から堀と土塁を見る
横堀(左)と主郭(右)
主郭切岸(左)・横堀・土塁(右)
横堀越しに主郭
主郭北東角横堀と主郭切岸
東郭
東郭西側の二重横堀の外側の横堀 
東郭
東郭東端堀切 
東郭東端堀切
東郭南東下堅堀
東郭南側下から伸びる横堀
東郭南西端から主郭南側へ伸びる二重堀と土塁
横堀
主郭南東側から土塁・横堀越しに主郭切岸
主郭南西側横堀
主郭
主郭南西側横堀
主郭南側横堀
主郭南側二重横堀と土塁
主郭南側土塁と二重横堀の外側堀
登城途中
谷の竹藪         斜面の薄い道
斜面の薄い道(青い杭がたより)    城跡への最後の斜面    
野上八幡山本陣
山頂の広場(駐車場)     八王子神社
    郭      郭下堀切      
郭         東先端の郭

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