紀伊 飯盛山城



ファイルNo4004


              空堀              

@ いいもりやまじょう 
  別名  

A住所:紀の川市麻生津中
    旧:那賀郡那賀町

B目標地点:
C形式:山城  D比高:700m車 
E現況:山林

F遺構等:郭・堀・土塁
G時代/人物:期/氏
H満足度: 凸+
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  模擬城/飯盛城から比高60m/15分

J撮影・訪問時期:2024年01月

  

道案内 

京奈和自動車道のかつらぎ西インタを下り、信号を左折し県道125号線に入ります。約2km先、笠田小南の信号で左折し国道24号線に入ります。約800m先の笠田駅前の信号を右折します。約500m先の笠田東の信号を直進して国道480号線に入ります。高野山金剛峯寺へ向かう道です。約5.5km先のの御所の信号で逆Vに右折し県道4号線に入ります。道なりに約4.5km先、かつらぎ町と紀の川市の境界付近で右折し県道120号線に入ります。約600m先で道はY字になります。(右手に行くと県道120号線で約800m先が麻生津峠です。) 道はY字分岐を左方向の林道に入ります。約1.4km先で尾根道に出ますので左に行きます。(右に行くと今城山城そばを経由して麻生津峠に下ります。) 左折し、ジェットコースター並みのアップダウンの尾根道を約1.5km進むと某宗教施設の模擬城・飯盛城の模擬天守が現れます。この辺までは道はアスファルトです。その先はアスファルト道がさらに悪くなるので徒歩で向かいます。模擬城からいったん急坂を下り、再度登ったのころにゲートがあります。車進入禁止で、立入禁止ではないのでゲート横から山道をさらに進みます。約400m先で再度ゲートがあります。ここも同様に進みます。約400mほど行くと山道の正面に飯盛山の標識があり、山頂まで200mと表記してあります。ここを登ると山頂が城跡です。
 
訪城備忘録

宗教法人が管理されている土地のようですが、立ち入り禁止ではないようですが、飯盛山山頂の斜面を登る箇所から左への小道を行くと宗教施設がなっていたりします。最後の登り口から山頂まで200mと書かれていますが、比高で40mほどか、案外急斜面で息が上がりました。^^; 主郭(山頂下)に帯郭状(空堀)に東から北側へ窪地と土塁が続きます。その先西側は帯郭状でした。山頂北側から東側にはもう一段副郭状になってます。山頂は土塁もなく、これと言った遺構は無い感じです。

この飯盛山城は小さな監視の城のように見えますが、ここに大勢が三か月も籠城したとは思えませんね。主郭下を1/4巡る空堀・土塁もなにか後世のもののように見えてしまいます。

この飯盛山城に来るまでの途中に(模擬城)飯盛城があります。宗教団体が建てた建物で、もう少し木々が伐採されていたら眺望は抜群ですね。もう廃墟なんかと思って前まで行ったらちゃんと門松も立てられていて、施設として稼働しているようです。 ここまで来る林道はバブル期くらいに別荘地として開発でもされたようで、朽ちた家とか売り地の掲示板が幾つかありますし、廃墟になったホテルもありました。ただ、一、二軒は別荘として今も使っておいでのようでした。

 
山頂の標識
歴史

史料では、建武元年(1334年)、北条高時方の佐々目憲法(高時の甥)が守備したとされ、楠木正成勢と三か月戦ったと伝えられます。また、天正九年(1591年)の織田信長勢の高野山攻めの際の高野山側の守備したとされます。

      主郭下段郭     主郭を東側から見る
模擬飯盛城からの眺望
地理院地図@
地理院地図A
麓の紀の川から飯盛山方向遠望
  
主郭下北東側空堀
主郭北側空堀と土塁
主郭北東下空堀と切岸
主郭北西下空堀の延長
主郭東下腰郭
 ゲート       模擬飯盛城からの山道   城跡への登り口
飯盛山への斜面
道案内
県道4号線から県道120号線へ    今城山城への登り口      
県道120号線からの分岐点
模擬城・飯盛城

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