紀伊 高瀬要害山城
(馬谷城)



ファイルNo3366


                            西下の畝状竪堀と土塁

@ たかせようがいさんじょう・うまんたにじょう
  別名 馬谷城・要害山城 

A住所:西牟婁郡白浜町富田
B目標地点:
C形式:山城  D比高:80m 
E現況:山林

F遺構等:郭・堀切・竪堀・畝状竪堀
    ・土塁・説明板

G時代/人物:戦国期/吉田氏
H満足度: 凸凸+
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  説明板から10分

J撮影・訪問時期:2018年01月

  

道案内    

紀勢自動車道の南紀白浜インタを下り、国道42号線で南へ進みます。2km先、(小さな川を渡り、トンネルを越えて右カーブになる箇所)路地に左折します。600m先右手工場の所で道は左折になり、500m先で高速道の高架をくぐり、100m先の左に作業所の前に説明板があり、ここより登ります。
 
訪城備忘録

説明板から整備された山道を登ります。高速道の要害山トンネル横を越えたら三の郭下の堀切に至ります。東側に登ると高速道路の真上になりますが、東の郭と竪堀があるんですが藪になっていて遺構は見られない状態でした。堀切の反対側を登ると三の郭に至ります。安宅の城郭は土塁が巡っている郭が多いですがこの郭は土塁は無かったです。発掘調査では郭の東側に虎口があり、門と礎石と階段状の石積みが検出されたようです。西側に主郭の切岸がそびえてました。主郭は東南に土塁はあり、発掘調査では二段の石積みが検出されたようです。西側に下りると二の郭です。円弧の郭で中央に虎口があったようで石積みの痕跡がありました。さらに西側下に下ります。10mほど下りると西側横堀があり、そこより6条の畝状竪堀が落ちています。その内4条は下まで見えるほど明瞭です。また、横堀とのこぶ状の土塁が明瞭です。北側には斜面を長く落ちる3条の畝状竪堀があります。やや不明瞭になってますが、西側とはタイプが違う畝状竪堀です。小さな城跡ですが、畝状竪堀が明瞭に楽しめる城跡です。

説明板
歴史

明応三年(1494年)、安宅氏の家臣の吉田春秀が築城したとされます。この地は熊野参詣道の大辺道の街道であり、龍松山城の山本氏の領地との境目にあたる城だったようです。

二の郭          北下の畝状竪堀
縄張り図・現地案内板より
道が分かりにくいため地図を提示します(地理院地図を加工)
  
三の郭下の堀切
東尾根(高速道の上) 草に埋もれてますが竪堀
三の郭と主郭の切岸     主郭       
二の郭虎口    二の郭土塁
西下の畝状竪堀と土塁
西下の畝状竪堀と土塁
西下の横堀と畝状竪堀の土塁
畝状竪堀
北下の畝状竪堀

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