播磨 安宅土井城



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                         主郭背後の堀切   

@ あたぎどいじょう 
  別名  

A住所:西牟婁郡白浜町田野井
    旧:西牟婁郡日置川町

B目標地点:天徳寺
C形式:山城  D比高:80m 
E現況:山林

F遺構等:郭・堀切・竪堀・堀・石垣・土塁・説明板
G時代/人物:戦国期/安宅氏・土井氏
H満足度: 凸△
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  20分

J撮影・訪問時期:2018年01月

  

道案内 ←城跡   ←寺(登り口)

紀伊自動車道の日置川インタで下り、信号を左折し県道37号線を進みます。約5.6km先で左折します。路地を200mほど進むと右手に集会所があり、ここに城跡説明板があり、駐車できます。隣の坂道を登ると天徳寺です。
 
訪城備忘録

寺の本堂を横切り、そのまま墓地を過ぎると左手に登る坂道があります。木の階段もついてます。しばらく登ると最初の堀切があります。縄張り図からすると堀切ではなく横堀のようですがシダでまったくわかりません。その上にも長い横堀があります。こちらは相当奥まで入っていけました。横堀の内側に石積みがありましたが、これは遺構だろうか? 最初の堀切(横堀)の上にも大きな石積みがあり、主郭への石段、主郭には石列などありますが、どれも昔の寺の跡のものでしょうね。主郭背後は高く、大日如来の碑が建っており、その背後に明瞭な堀切と両サイドは竪堀に落ちています。その背後の尾根にはいくつかの堀切がありそうですが、すごいシダで進むことができませんです。尾根の最初の堀切で引き返しました。

説明板
歴史

大永六年(1526年)、時の当主の実俊が死去し、嫡男の安定が幼かったため、弟の定俊が家督を継ぎましたが、1500年代初期<享禄年間(1528〜32年)>、安定が長じても定俊は家督を譲らなかったため安定と定俊の間でお家騒動となりました。この城の城主であった定俊の弟の基定も没落し、城には安宅氏の家臣の土井氏が入ったようです。

長い横堀         尾根の堀切
縄張り図 現地説明板より
  
最初の堀切
石積み        長い横堀
長い横堀
長い堀切
主郭下の石段         主郭   
大日如来の碑       主郭背後の堀切から竪堀
主郭背後の堀切
主郭背後の堀切からの竪堀
尾根からの眺望

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