紀伊 虎松山城



ファイルNo3355


                            北側端の堀切

@ とらまつやまじょう 
  別名  

A住所:東牟婁郡串本町和深
B目標地点:
C形式:山城  D比高:100m 
E現況:山林

F遺構等:郭・堀切・竪堀・畝状竪堀・堀・土塁
G時代/人物:戦国期?/村上氏
H満足度: 凸凸+
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  20分

J撮影・訪問時期:2017年12月
         (2025年11月)

  

道案内 ←城跡  ←登り口?

紀勢自動車道すさみ南インタで下り右折し、県道36号線を南に進みます。約1.6km先、「道の駅すさみ」前の信号で左折し国道42号線に入ります。 約11km先、和深の信号を左折し県道39号線に入ります。約1.3km先右手に小川口集会所で駐車し、さらに約500mほど県道を歩いたところで右手に入り、私設の橋を渡って山の麓に行きます。私は東南側斜面から入り、左に廻り込みながら南側の急支尾根を直登し、主郭南下の郭へと登りましたが、麓をもう少し東側に廻り込み、東の支尾根麓(リンク位置)から東支尾根を直登し、東下の二重堀切に至るルートの方が楽なんかもしれません。いずれにしても直登で斜面は砂地で滑りやすいですから、行かれる方は充分気をつけて行ってください。

訪城備忘録

東南麓の休耕地から山に入り、斜面を登りました。このまま斜面の直登ではあぶないため、左に廻り込んで南支尾根の斜面を登りました。それでも相当にきつかったす。比高100mほどですが、感覚的には比高150mという感じでした。

城跡は南端から主郭下郭−主郭ー二の郭と連なり、主郭東下には帯郭から横堀になる郭があり、主郭と二の郭の間は今も深く広い堀切が隔てられ、この堀切からの竪堀も明瞭に残ります。主郭、二の郭は土塁が巡り、土留か石積みの痕跡も残ります。二の郭の北側にはこれも明瞭な二重堀切があり、その先には尾根上に三条の竪堀が横たわり、その先の北端にまた明瞭な堀切があります。普通、竪堀は斜面に構築しますが、ここのは尾根上に横たわります。敵を誘い込むための窪みでしょうか。城跡は岩場を削り込んだ荒々しい城で、今も明瞭な遺構が残ります。

なお、和深浦城(御高屋敷)は平常の居館城であったようですが、現在の八幡神社の背後と言われていますが、城域は破壊されて遺構はないようです。行ってみましたが、砂防ダム風の石垣があり、反対側の台地上にも石垣囲みの平坦地がありますが遺構ではない感じです。

2025年11月、串本町を通過して、一度見てみたかった橋杭岩に行ってみました。虎松山城はすさみ町に近い位置で橋杭岩からは離れていますが、串本町の城跡はここしか行ったことが無いので、ここに橋杭岩の付属行を追加しました。橋杭岩が泥岩の間に火山で噴出したマグマが入り込み火成岩となり、その後、隆起や海の浸食など、泥岩が先に削れて火成岩の橋杭岩が残ってこのような景観を作ったようです。橋杭岩には道の駅に駐車するとその前の海岸から行けます。但し、満潮と干潮、天候にも左右される感じです。
 東牟婁郡串本町くじ野川 道の駅 くしもと橋杭岩 

城跡遠景
歴史

詳細不明ですが、神官だった村上氏が国人化し、和深浦城の詰城として築城したようです。

  主郭北下堀切     二の郭北側二重堀切
  
主郭東下横堀
主郭北下堀切    堀切からの竪堀
    主郭堀切側土塁       主郭虎口?と「虎松山」の標識
主郭土塁と石積み痕跡   主郭と土塁      
主郭北側下堀切
二の郭土塁越しに主郭北下堀切
主郭北側下堀切を二の郭東下から
二の郭土塁
二の郭北側二重堀切
二の郭北側二重堀切
二の郭北側二重堀切のひとつ
二の郭北側二重堀切      尾根上の畝堀
二の郭北側二重堀切
北端堀切
東尾根側浅い二重堀切
和深浦城(御高屋敷)
八幡神社      城域?
橋杭岩 
橋杭岩より那智勝浦寄りの海岸線
橋杭岩よりすさみ町寄りの海岸線

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