紀州 平須賀城



ファイルNo3204


                            堀切

@ へいすがじょう 
  別名 平主山城、平柄山城、平須山城 

A住所:日高郡みなべ町西本庄
    旧:日高郡南部川村

B目標地点:
C形式:山城  D比高:180m 
E現況:山林

F遺構等:郭・堀切・竪堀・堀・土塁・標識
G時代/人物:室町期/野辺氏
H満足度: 凸凸+
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  登城口から40分

J撮影・訪問時期:2017年01月

  
道案内 ←城跡   ←登り口

阪和自動車道みなべインタを下り、みなべIC入口の信号を右折し国道424号線に入ります。約7.2km先、道が大きく右へカーブし、さらに左へ円弧を描くように南部川沿いを進みます。道の左手、川の向こうの山が城跡です。円弧を描いた国道がまた大きく右カーブになる手前の小道に左折します。左折角に小さな城跡標識があります。 南部川を渡って200mくらいのところに右手に登る道があります。ここにも城跡の標識があります。ここから城のある山を巻くようにして小道が奥に続いています。山の反対側まで来ると左手にコンクリーとの坂道があります。ここが登り口で城跡登り口の標識があります。 なお、国道沿いにある「みなべうめ振興館」には平須賀城のジオラマと縄張り図などの展示があります。無料ですし、道沿いですから立ち寄るのはいいと思います。

訪城備忘録

城跡のある山に直接登るのではなく、尾根で繋がった背後の山に登ります。登り道は右手に梅林の畑があるとは言え、明瞭な道でもなく、ほぼ直線的な急坂を登ります。東から西へ比高で100mほどはひたすらこの直線の登り道を登ります。尾根手前で、薄い堀切・土橋を越えます。ここで梅林に設置してあり、警告装置が作動してサイレン等がなるので驚かないでください。ここを越えると円状の平坦地で見張り郭のような感じです。ここから南側に下ります。すぐに堀切を越え、さらに西側片方に土塁がある長方形の郭を越えます。 また、堀切を越えると突き出た段郭です。 高い斜面(切岸)を登ると主要部です。 逆弓状の円弧の堀切は竪堀として落ちており麓の方まで見えます。これはなかなかいいですね。 この北西の斜面にはもうひとつの大きな堀切・竪堀があり、この大きな2条の堀切・竪堀がハの字状配置され、この間に竪堀が2条ほどあり、竪堀4条が畝状竪堀になってます。 南東側を見上げると主郭が見えます。大きな段郭が三段ほどあります。 訪城時は草刈りされた後で見やすかったですが、すぐに矢竹が群生しそうなところで、夏場なんかに来ると藪状態になってそうです。頂部の主郭からの眺望は紀州灘まで見渡せ360°パノラマです。

城跡標識
歴史

野辺忠房が築城したとされます。野辺氏は建武の新政の頃、野辺快行が守護畠山氏に従い、津殿庄に入り、忠房の頃は湯川氏に従っており、南部庄も領有して平須賀城を築いたようです。忠房の後は光快(みつよし)ー光房ー春弘と続き、光房は、永禄五年(1562年)の若江の戦いで討死し、その後を春弘が継ぎ、幡山城(要害城)を築き移ったとされます。 平須賀城はその後も機能していたようですが、天正十年(1582年)、春弘が討死し、弟の春和が継ぎますが、同年、湯川氏に離反を企て、湯川氏に攻められ、春和は逃亡して野辺氏の紀州での領有を失ったようです。


麓が見える竪堀           主郭を見上げる
「みなべうめ振興館」にある縄張り図
  
登り道にある薄い堀切と土橋         北のピーク郭(見張り郭)から城跡を遠望
見張り郭の南側堀切       尾根上の郭と土塁
堀切と竪堀
堀切と竪堀
堀切            堀切から段郭
堀切
眺望
主郭下段郭
主郭から段郭を見下ろす
主郭北側下帯郭          段郭下横堀
堀切と竪堀
城跡を麓から遠望
主郭からの眺望
主郭からの眺望

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