紀伊/ 霜山城



ファイルNo3102

郭を取り囲む空堀が深く見事

                            空堀

@ しもやまじょう 
  別名 野口城 

A住所:橋本市隅田町垂井
B目標地点:隅田八幡神社
C形式:山城  D比高:120m 
E現況:山林

F遺構等:郭・土塁・堀
G時代/人物:室町期/野口氏
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  集落からは比高10m−10分

J撮影・訪問時期:2016年04月

  
道案内 

京奈和自動車道橋本東インターを下り、インター出口の信号を直進します。300m先県道104号線の信号も直進します。400m先、直進でガードをくぐる道、その側道、左に戻る道(隅田八幡宮に至る道)があり、側道に入ります。150m先のT字を左折します。500m先の左手の丘が城跡です。
 
訪城記録

隅田八幡宮の西に400m、野口池の西150mのところ、周囲が集落や畑でありながらここだけが木々が鬱蒼としています。南側からスロープ状の道を登り斜め右に登って行くと南の堀のところに至ります。大きな郭がふたつあり、東の郭は畑になってますが、周囲に土塁が巡ります。西の郭は雑木林で、西のみが土塁のない低い土塁状がコの字で残ります。西側中央には虎口形状も確認できます。東の郭と西の郭の間の空堀中央には土塁が飛び出しており、往時はここに木橋でもあったようです。この空堀、ふたつの郭を四周すべて取り囲んでおり、特に東の郭の北側、東側は深く明瞭です。東の郭の空堀を挟んだ東側は広い平坦地で兵站基地であったようです。郭を取り囲む空堀の北側に一文字の空堀がもうひとつありますが、こちらは浅いです。両郭の間の空堀より北側の東西にある空堀の方が一段深く、間の堀から見ると空堀の斜面が壁のように見えます。 なかなか見事な空堀です。

南から城跡
歴史

築城時期は定かではないようですが、隅田党の野口氏の築城と言われているようです。また、野口氏の他に同じ隅田党の下山氏、中島氏も居城したともされます。さらに、城郭の規模が大きいところから、隅田一族の単独の城というより紀伊守護畠山氏の拠点とも評価され、永禄十年(1567年)には大和の三好三人衆攻撃のため守護畠山昭高は名倉城とこの城を拠点にしたようです。廃城もはっきりわからないようですが、天正元年(1573年)、昭高が暗殺されていますので、この前後でしょうか。


西の郭の西の虎口形状                        西の郭の土塁
北側から城跡

  
西の郭と土塁                        中央の空堀
東の郭                             中央の空堀
中央の空堀
西の郭北側堀
西の郭の空堀                     中央の堀から北側の堀の斜面
東の郭の空堀
東の郭の東側の空堀

近くの城・関連の城: