紀伊 和歌山城



ファイルNo2030


          天守

@ わかやまじょう 
  別名 虎伏城・竹垣城 

A住所:和歌山市一番丁
B目標地点:
C形式:平山城  D比高:30m 
E現況:公園・市街地・公共施設

F遺構等:郭・石垣・水堀・堀・門
G時代/人物:戦国期/豊臣氏・浅野氏・徳川氏
H満足度: 凸凸+
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  20分

J撮影・訪問時期:2008年12月・2014年04月
2019年01月・2023年10月・2024年07月

  

道案内  ←不明門駐車場

阪和自動車道和歌山インタを下り、国道24号線和歌山バイパスを右手和歌山市内に進みます。 1.6km先の花山の信号で直進、県道145号線に入ります。約1,8m先の田中町の信号で県道138号線に変わります。さらに約1.7km右手が和歌山城です。 南海電鉄和歌山市駅から南東に約1.4kmほど、JR和歌山駅から西へ約2kmほどです。 駐車場は、近代美術館(左手)手前の信号を右折し入ったところ、不明門石垣そばに城内駐車場があり、または、城の北側、和歌山市役所横に有料パーキングなどがあります。西の丸駐車場はバス専用です。 
 
訪城備忘録

天守曲輪を始め主要部の石垣はほとんどが緑色片岩の野面積みでありますが、拡張された新裏坂西側の石垣、御蔵の丸の東側石垣、一中門、北堀沿いの石垣などは砂岩で石垣が築かれ、松之丸隅櫓高石垣、不明門高石垣の隅石(算木積み)部分は花崗班岩で積まれた打ち込みハギ、切り込みハギの石垣見られます。また、浅野氏時代の石垣には刻紋(刻印)も見られます。建物は第二次世界大戦の空襲で焼けてしまいましたが、連立天守群が外観復元され、岡口門・土塀・追廻門が現存しています。 また、大手門、御橋廊下が復元されています。岡口門近く(道の反対側)の岡公園は和歌山城の石切り場で、その痕跡が残っていました。 

【訪城記】
一度に全部廻ろうとしたら半日5時間くらいはかかると思います。ここんとこは和歌山市役所の並び、商工会議所の隣、西汀丁の交差点角にある有料パーキングに車を停めています。 ここから横断歩道を渡り、西の丸・砂の丸(北側)を通って城域に入りますが、その前に北堀沿いを東端まで行く間に、西堀に架かる御橋廊下と天守群の撮影スポットがあり、東端には一ノ橋と大手門(復元)があります。戻って、鶴の渓から山吹渓の石垣見ながら裏坂を登って天守郭を目指してます。途中、紅葉渓庭園があり、その先に復元された御橋廊下があります。

台所門から裏坂を登りますが、台所門内枡形右手の雁木の石段に雁木を登る根っこというのがあり、ちょっとしたスポットです。裏坂を登って行くと本丸手前に本丸裏門跡の礎石が残ってますが非常に大きいです。本丸は現在、給水場になっており、ここから天守群を眺めるのみです。

天守一之門から天守郭下段を通り、楠門(天守二之門)をくぐり、天守郭に入ります。まぁ外観復元の建物ですからこの手の建物の展示物です。外観復元でも桜の季節や紅葉の季節は天守とコラボでいいですよ。

天守郭から表坂を下ります。松の丸から御蔵の丸に下りてきます。北側には大手門から繋がる一中門石垣が残ります。南側は松の丸隅櫓の高石垣がそびえ、その下に岡中門の石垣が食い違いの石垣列になってます。南東端には現存の岡口門が残ります。たいぶ傷んでました。この横の石垣や石段に刻印(刻紋)が確認できます。

南側を西へ進みます。動物園を越え、城域内駐車場そばは不明門と高石垣が残ります。さらに西に向かうと新裏坂で、その新裏坂の西側石垣には多数の刻印(刻紋)が残ってます。この石垣沿いを北に進み、砂の丸(南)<現護国神社>の門(仕切門)を越えて左手に行くと現存の追廻門があります。赤い門ですので格式が高いという事なんでしょう。北側へ進むと鶴の渓から山吹渓の入口にある鶴の門に至り、だいたい一周したことになります。 最後に和歌山市役所14Fには展望スペースがあるので、ここから天守群を眺めてはいかが?。

【訪城記録】
2019年2月、夜間に和歌山城のそばを通りましたが、個々のライトアップ天守群が迫ってくるように見えるので迫力あるわ。2023年10月、夕暮れに寄ってみました。しばらく歩いているともう写真は撮れないくらいに暗くなってしまったです。^^;

2024年7月、比高の高くない山城(丘城)を巡ろうと和歌山県に来ましたが、暑すぎて二城で断念。代わりに和歌山城にまた来てみました。前回、時間が遅くて入れなかった市役所の展望スペースからの天守群を見てきました。天守群が目線よりやや下に見えます。眼下には御橋廊下も真上から見る感じです。天守群にも16年ぶりに入ってみました。暑すぎて見学者は主に中国の方々でしたが、城好きたちもオフ会をなさっていたようです。

岡口門前城址碑
歴史

天正十三年(1585年)、紀州を平定した豊臣秀吉が弟の秀長に大和・紀伊を与え、秀長にて築城されました。城代として桑山重晴、孫の一晴が城代を勤め、慶長五年(1600年)の関ヶ原の戦い後に浅野幸長が37万6千石で入封、元和五年(1619年)、浅野長晟が広島に転封、変わって家康の十男の頼宣が55万5千石で入封し、明治維新まで続きました。

岡口門        不明門高石垣
主要部御蔵の丸側(東下)石垣         一中門 
   和歌山市役所展望スペースからの天守群     
現地案内板より
東堀〜大手門〜北堀・西堀(御橋廊下と西堀・天守群)
大手門(復元)
東堀 (中央の屈折石垣は中門続南櫓石垣)
北堀
物見櫓石垣と天守群遠望
駿河櫓石垣(左側)・西堀・御橋廊下・西の丸石垣(右側)、及び、天守群遠望
駿河櫓石垣(左側)・西堀・御橋廊下・西の丸石垣(右側)、及び、天守群遠望
御橋廊下・天守群遠望
鶴の渓・山吹渓〜紅葉渓庭園・御橋廊下
天守郭<左:大天守と(手前は小天守) 右:乾櫓>:西の丸広場から
鶴の渓から山吹渓
鶴の渓
山吹渓
茅門
鳶魚閣
御橋廊下(復元)
御橋廊下(復元)
御橋廊下(復元)
御橋廊下(復元)
御橋廊下(復元)
御橋廊下(復元)
切手門・台所門・裏坂
切手門付近石垣
切手門付近石垣
台所門横の石垣
台所門石垣
台所門舛形右手石垣の雁木を登る根っこ(笑)
裏坂沿いの石垣
本丸石垣
天守郭下壇北東側下石垣
本丸裏門と本丸石垣
本丸裏門礎石
天守郭下郭・天守群・松の丸
天守一の門付近石垣
大天守を下から
楠門と大天守
二の門櫓
二の門櫓と乾櫓
大天守
二の門櫓(左端)・楠門と天守
大天守
大天守よりの眺望東側(岡口門が下に見える)
大天守よりの眺望西側(左側・二の門櫓 右側・乾櫓))
本丸から見る大天守と小天守
夕暮れの大天守と小天守
本丸表門付近から
松の丸沿いの石垣
表坂・松の丸隅櫓台高石垣・岡口門
表坂から岡口中門石垣
岡口中門石垣
表坂と中央は松の丸隅櫓台石垣
御蔵の丸沿い石垣
一中門石垣
御蔵の丸の東堀沿い石垣雁木
岡中門石垣
松の丸隅櫓台(高石垣)
岡口門(現存)
岡口門(現存)
岡口門から南側石垣
不明門・不明門高石垣・新裏坂・追廻門
不明門石垣
不明門高石垣
新裏坂石垣
新裏坂石垣(1月なのに梅の花がほころんで)
新裏坂石垣
新裏坂西下石垣の刻紋(刻印)
新裏坂西下石垣
追廻門(現存)
追廻門(現存)
市役所からの遠望
和歌山市役所展望スペースから天守群
和歌山市役所展望スペースから天守群
和歌山市役所展望スペースから御橋廊下
国道42号線の真砂丁の信号そばから
国道42号線の県庁前信号の手前の信号から
西の丸広場からライトアップ 2023年

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