紀伊 和歌山城



ファイルNo2030


          天守

@ わかやまじょう 
  別名 虎伏城・竹垣城 

A住所:和歌山市一番丁
B目標地点:
C形式:平山城  D比高:30m 
E現況:公園・市街地・公共施設

F遺構等:郭・石垣・水堀・堀・門
G時代/人物:戦国期/豊臣氏・浅野氏・徳川氏
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  20分

J撮影・訪問時期:2008年12月・2014年04月
             2019年01月

  

道案内  ←不明門駐車場

阪和自動車道和歌山インタを下り、国道24号線和歌山バイパスを右手和歌山市内に進みます。 1.6km先の花山の信号で直進、県道138号線に入ります。約4.5km右手が和歌山城です。 南海電鉄和歌山市駅から南東に1.4kmほど、JR和歌山駅から西へ2.1kmほどです。
 
 
訪城備忘録

天守曲輪を始め主要部の石垣は砂石(緑色片岩)の野面積みでありますが、松之櫓高石垣、不明門高石垣、周囲の石垣には打ち込みハギ、切り込みハギの石垣見られ、豊臣、浅野氏時代の石垣には刻紋も見られます。建物は第二次世界大戦の空襲で焼けてしまいましたが、連立天守などが復元され、岡口門・土塀・追廻門が現存しています。 また、大手門、御橋廊下が復元されています。近くの岡公園は和歌山城の石切り場で、その痕跡が残っていました。 

2019年2月、夜間に和歌山城のそばを通りましたが、個々のライトアップ天守群が迫ってくるように見えるので迫力あるわ。

岡口門前城址碑
歴史

天正十三年(1585年)、紀州を平定した豊臣秀吉が弟の秀長に大和・紀伊を与え、秀長にて築城されました。城代として桑山重晴、孫の一晴が城代を勤め、慶長五年(1600年)の関ヶ原の戦い後に浅野幸長が37万6千石で入封、元和五年(1619年)、浅野長晟が広島に転封、変わって家康の十男の頼宣が55万5千石で入封し、明治維新まで続きました。

岡口門        不明門高石垣
楠門       天守
現地案内板より
  
鶴の渓
山吹渓
御橋廊下(復元)
岡口門(現存)
天守
天守郭
松の丸高石垣
刻紋
追廻門(現存)
1月なのに梅の花がほころんで
西の丸広場からライトアップ
国道42号線の県庁前信号の手前の信号から

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