摂津 貴志城



ファイルNo4105


              北東端の大土塁              

@ きしじょう 
  別名 貴志館 
A住所:三田市貴志
B目標地点:貴志公民館
C形式:丘城  D比高:30m 
E現況:山林・宅地・農地

F遺構等:郭・土塁・堀切・堀?
G時代/人物:南北朝期?/貴志氏
H満足度: 凸+
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  2分

J撮影・訪問時期:2024年12月

  

道案内 ←東の遺構  ←西の遺構(貴志公民館)

中国自動車道の神戸三田インタを下り、神戸三田インタ北の信号を右折し県道95号線に入ります。約1.4km先の弥生が丘6丁目の信号を左折し県道720号線に入ります。約2.5km先のあしあか台4丁目の信号を右折します。約1.5km先のウッディタウン東口の信号を右折し県道141号線に入ります。約800m先を右折します。(御霊神社バス停そば、貴志の信号の手前) 坂を登りながら右カーブの後左カーブで登って行きます。約500m先右手が貴志公民館です。

訪城備忘録

城跡の規模、縄張がわかりませんし、現地の土塁、空堀、池(水堀?)がどうつながるのかわかりませんでした。 貴志公民館前の庚申塚が立っている土壇が土塁跡と言われるようです。公民館の裏手に行くと、土塁状の盛り上がりと池が二つ、小さな祠がありますが、遺構なのか判りません。池の北側は大きな耕作地でした。ここを西の遺構とし、東の遺構は公民館から約200mほど東に戻り、左折し小道を進んだ先の個人宅の横と裏手に遺構らしき箇所があります。個人宅の横に池があり、堀跡でしょうか? この個人宅裏手に東西に延びる大土塁があります。その北側には空堀跡が横たわり、これの西側の墓地周辺にも土塁、堀の痕跡ような箇所があります。これらは遺構なのかの疑問もありますが、城館の雰囲気はあります。

東の遺構側遠望
歴史

築城時期、築城者は不明ですが、貴志氏の居城と言われています。鎌倉初期に貴志義茂の名が史料にあるようで、また、南北朝期には貴志五郎四郎義氏が南朝方として名があるようです。貴志公民館の裏手に「貴志五郎四郎の碑」というものがあったようですが、見当たりませんでした。

東の遺構の堀      西の遺構の土塁
北側から城跡遠望
  
東の遺構の土塁
東の遺構の土塁
東の遺構の堀
西の遺構の土塁     貴志公民館
西の遺構の堀??
西の城域??
五良谷城 4105S   

@ ごろだにじょう   A住所:三田市すずかけ台1丁目(旧:貴志) B目標地点:烏ケ池
C形式:丘城  D比高:20m E現況:山林  F遺構等:郭・土塁
G時代/人物:戦国期/明智氏? H満足度:
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:10分  J撮影・訪問時期:2024年12月

すずかけ台1丁目の東南端がU字で下る道があり、上ノ池、烏ケ池そばを下っていきますが、このU字の中の雑木林から先端側が城跡です。しかし、古墳を用いた遺構が残るとされますが、薮もきつく、どれが遺構なのか判らずじまいでした。

天正六年(1578年)、陣城として明智光秀が築いたとされますが、短期間で構築され、短期間の使用であったとされますが、詳細不明です

この斜面の上から先端方向が城跡     土塁?堀?        
土塁?堀?(古道にも見えますが・・・)

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