摂津 藍岡山城



ファイルNo4103


             主郭下堀切               

@ あいおかやまじょう 
  別名 築山城 丸山城 

A住所:三田市藍本
B目標地点:JR藍本駅
C形式:丘城  D比高:20m 
E現況:山林

F遺構等:郭・堀切・土塁
G時代/人物:戦国期/藍氏
H満足度: 凸+
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  10分

J撮影・訪問時期:2024年12月

  

道案内 

舞鶴若狭自動車道の三田西インタを下り、三田西インタの信号を左折し県道92号線に入ります。約1.6km先の溝口の信号を左折し県道141号線に入ります。約200m先の溝口北の信号を右折します。約1km先の長坂中学校前の信号を左折し国道176号線に入ります。約1.2km先、四ツ辻の信号で、さらに約3.5km先が波田の信号で、そこから約500m先を左折し県道75号線に入ります。約200m先でJR宝塚線の踏切を越えてすぐを左折します。約400m先を右折し、約300m先の右手がゴミ収集所があって道が広くなってます。この手前の細い道を上がり、棚田の真ん中の細道を戻る感じで200mほど行くと左手に山への開口部があります。ここを入ると古い墓地があり、この背後の尾根を右手に行くと城跡です。
 
訪城備忘録

集落の裏、低い丘の先端側に城跡があります。主郭と思われる一段高い細長い郭があり、切岸は垂直に近いですが、高さは5mもないです。主郭西側端に低い土塁があり、その西側下には堀切がありました。南下は削平が甘いように感じますが、主郭に沿って削平地があります。主郭の東側は薮で行きませんでした。これらの南東下は広い削平地になってます。昔は畑だったんだろうか? この程度の城では防御性も無いし、館城と言うわけでもない感じです。南東側に屋敷でもあったんでしょうかね?なお、墓地の右手が城跡ですが、尾根の左手を少し行くと堀切状の窪地があるようですが、見逃しました。

丘への進入路
歴史

嘉吉元年(1441年)、赤松満祐が嘉吉の乱で破れ自刀し赤松氏はいったん没落しますが、満祐の子孫がこの地に逃れ、赤松康則が永禄八年(1565年)に築城し藍氏を名乗ったとされるようです。一族には森鼻氏を名乗ったともされます。藍房清の代の天正三年(1575年)〜天正七年(1579年)頃?、荒木村重に攻められ落城したとされるようです。

         主郭土塁     主郭下堀切を反対側から
  
主郭切岸
主郭南下郭?     南下郭の虎口状
城域の南東下(遺構ではないと思う)     主郭          
主郭土塁
藍丸山城  4104

@ あいまるやまじょう A住所:三田市藍本  
C形式:丘城  D比高:20m  E現況:公園  F遺構等:郭?・説明板
G時代/人物:戦国期/藍氏  H満足度:
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:5分  J撮影・訪問時期:2024年12月

国道176号線の四ツ辻の信号から約3.5km先が波田の信号で、さらに約3km先、藍本の信号の手前で右に入ります。約150m先の正面の丘が城跡です。
丘の麓に説明板があり、丘の頂部に模擬櫓の休憩所があります。平坦地にはなってますが、城跡としてのものかはわかりません。

築城時期、築城者は不明ですが、応仁の乱の頃には砦があったようです。赤松教康の子の康則が藍氏を名乗り藍岡山城を築き、藍丸山城は出城としたとされます。藍房清の代の天正三年(1575年)〜天正七年(1579年)頃?、荒木村重に攻められ落城したとされるようです。

丘の頂部      麓の説明板
丘(城跡)全景
紅葉

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