道案内 ←登り口 |
中国自動車道の神戸三田インタを下り、神戸三田インタ北の信号を右折し県道95号線に入ります。約1.4km先の弥生が丘6丁目の信号を右折し県道720号線に入ります。約3.7km先の西対中の信号を右折し県道17号線に入ります。約500m先の八幡中学校前の信号を右折し国道176号線に入ります。約2km先、道場東の信号を左折し県道327号線に入ります。約1km先を左折し、月見橋で有馬川を渡ります。約200m先を右折し、約100m先を左折し、約200m先正面が観世寺です。この前で斜め右に登って行く道があり、ここを登ります。
ここは神戸三田メモリアルパークという墓地で、約250m先の墓地の上の左手の駐車場から西側の一番上の墓地へ登ります。この奥に尾根を歩く小道があります。ここに入り、やや草の多い小道を約200m弱歩くと右手にピークがあり、ここへ登り、北側尾根へ約100mほど行ったところが城跡です。
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訪城備忘録 |
i行きは道がわからず観世寺の西側背後から直登してしまいました。比高で15mほどの崖になっていて竹藪で倒れた竹が折り重なった状態で崖は急で難儀します。登りきると道案内に書きました小道に出ます。この崖コースはぜったいに行かないように。^^;
さて城跡ですが、冬場にもかかわらず薮薮でした。薮をかき分けながら進むと最初の堀に至ります。浅い堀状です。その先に西側を除いて、主要部の郭の南北東を巡る空堀の南面の堀があります。 薮ではありますが、深さのある堀です。主要部は北郭と南郭の二つの郭です。堀から南郭に入ると南東側にL字に土塁が確認できますが、郭内全体は薮であるのと削平は甘い感じです。
南郭と北郭の間には堀が横たわり、中央にわりと明瞭な土橋が残ります。北郭内も薮で削平は甘い感じがします。北郭の北西隅がスロープ状の通路がありました、北郭の北下の堀は笹薮がきつくて入り込めない状態でした。 |
観世寺
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永禄七年(1564年)に山崎左馬介恒政が築城したと伝わるようですが、恒政が史料では確認されず、山崎志摩守片家、左馬允家盛の親子のどちらかではないかとも言われるようです。しかし、三田中心部を睨んだ選地は三田城に籠った荒木村重方に対して、織田信長方の羽柴秀吉、明智光秀が築いた付け城の可能性もあるとの事です。
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