摂津 桑原城



ファイルNo3998


            横堀            

@ くりはらじょう 
  別名  

A住所:三田市桑原
B目標地点:
C形式:丘城  D比高:60m 
E現況:山林

F遺構等:郭・土塁・堀
G時代/人物:南北朝期・戦国期/赤松氏・桑原氏
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  10分

J撮影・訪問時期:2023年12月

  

道案内 

中国自動車道の神戸三田インタを下り、神戸三田インタ北の信号を右折し県道95号線に入ります。約1.4km先の弥生が丘6丁目の信号を右折し県道720号線に入ります。約3.7km先の西対中の信号を右折し県道17号線に入ります。約500m先の八幡中学校前の信号を左折し国道176号線に入ります。約1.8km先、武庫川を越えて2つ目の信号の下田中の信号を右折します。約600m先を左折し、さらに約600m先のT字を右折し、約100m先を左折します。約100m先を右手方向に進みます。約300m先まで坂を登ると左手にソーラパネル(発電)群があります。この北側が城跡方向です。100m戻った雑木林とソーラー発電所の境に草が伸びていますが小道があり、これを入って行って左手方向に雑木林の中を登るか、あるいは、ソーラー発電所の北側の外側の柵沿いに行くと茂みが開いている所があり、ここから入ると簡単に城跡に行けます。

訪城備忘録

行きは谷部の古道を進み、途中から荒れた雑木林を登って城跡に行きましたが、帰りは尾根上の小道を戻るとソーラー発電所の北側外柵の前にでました。尾根がやや北西に延びているところに主要の郭が三つ並んでいる城跡です。 便宜上、北郭、中郭、南郭と表現します。郭内はやや薮という感じです。

雑木林を登ると城域南端の堀切に出ました。この堀切はなかなか深くて明瞭です。堀切を越えると南郭で南東側に小郭があって堀切からスロープ状になってました。南郭は南から西へL字の土塁があります。南郭の西下には小郭がある感じですが笹薮なのでパスしました。南郭は奥へ進むと一段高くなっていて主要3つの郭の中では一番広く、削平度も高く、居館としてはここがそうだったのかもしれません。

南郭と中郭の間には横堀があります。狭くて浅く、薮に覆われて見えにくいです。中郭は三つの中では一番小さく削平度は甘いのかなという感じです。

中郭と北郭の間にも横堀があります。こちらは浅いですがわりと明瞭に残っています。特に西側が明瞭で堀の中央部がやや屈曲しています。北郭は郭内が段々状態になっていて広く平坦地が取れない郭でした。

やや笹薮状態ですが、冬場なら見学に支障はなく、比高もないため、楽に遺構の確認できる城跡でした。

城跡への進入口(ソーラー発電所から)
歴史

築城は南北朝期に赤松家則が築城したと伝わります。その後の城史は不明ですが、戦国期に入り、桑原左衛門清正の居館であったようで、有馬氏配下であったようです。荒木村重が台頭し、有馬氏を駆逐しても、桑原氏は荒木氏に従ったようです。天正六年(1577年)、村重が織田信長に離反し、翌年に有岡城が落城した頃には桑原氏の動静は不明になったようで、城もこの頃廃城になったようです。

南郭の土塁
城跡遠景
  
南端の堀切
南端の堀切
南郭下
南郭虎口?スロープ    南郭虎口?から郭内
南郭土塁
南郭と中郭との間の堀
南郭北側・中郭との間
中郭
中郭と北郭との間の堀
中郭と北郭との間の堀
中郭と北郭との間の堀
中郭と北郭との間の堀(屈曲部)
北郭
北郭

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