播磨 門村構居



ファイルNo3909


               真ん中の空堀と土塁             

@ かどむらこうきょ/かどむらかまい 
  別名  

A住所:多可郡多可町加美区門村
    旧;多可郡加美町

B目標地点:浄居寺・厳島神社
C形式:丘城  D比高:20m 
E現況:山林

F遺構等:郭?・堀・土塁・説明板
G時代/人物:室町期/杉原氏
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  説明板から5分

J撮影・訪問時期:2023年02月

  
道案内 

中国自動車道の滝野社インタを下り、国道175号線を北上します。約9km先、上戸田南の信号を左折し国道427号線に入ります。国道は約600m先の上野の信号で右折です。続いて約2.8km先の春日橋東詰めの信号で右折です。さらに、国道を約23km先、国道沿いに「門村構居」の標識が出ていますのでそこを左折し約100m先の斜め左の細道を進むと説明板があり、手前左手から入ると堀に入れます。 あるいは、浄居寺、厳島神社側からは向かって右手の方に遺構がありますが、神社との間に深い沢がありますので、回り込む感じで入る必要があります。

訪城備忘録

唐突に三重の空堀と土塁が麓近くに横たわっています。一番西側は浅いですが、真ん中と東側の空堀は深く、土塁も高いです。真ん中の空堀と東側の空堀の間の土塁の南端は張り出しており、横矢がきくようになってます。この空堀遺構の背後は広大な緩斜面で城郭遺構らしきものは無いです。浄居寺の背後、西側も同様に広大な緩斜面で城跡遺構らしきものは無い感じでした。 この三重空堀があまりに唐突すぎてこれの機能が理解できません。 郭内はこれら三重空堀の東側平地という事なんでしょうか?

説明板
歴史

築城時期は定かではないようですが、杉原兵太夫安久が城主とされます。 門村構居の一部に建てられたとされる浄居寺(じょうごじ)は天文五年(1536年)に安久によって開かせたとされます。天正二年(1574年)、三木別所氏の攻撃を受け、安久は討死し、落城したとされます。 <現地案内板より>


空堀と土塁
  
空堀と土塁
一番西側の浅い堀
真ん中の空堀と土塁
真ん中の空堀と土塁
真ん中の土塁と真ん中と東側の空堀
東側の空堀と土塁
真ん中の空堀
真ん中の空堀と張り出しのある土塁
東側の空堀
浄居寺      厳島神社
浄居寺と厳島神社の間東側の平坦地・土塁?

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