道案内 ←登り口 |
中国自動車道の滝野社インタを下り、国道175号線を北上します。約5km先、板波橋東詰の信号を越えた先で斜め左に下りて県道294号線に入り、約600m先の野村東の信号で左折し野村橋を渡り県道34号線を進みます。約9km先、明楽寺町の信号で右折し県道24号線(県道34号線と併用区間)に入ります。約1.2km先の保木南の信号で斜め左に入り、県道34号線に入ります。約2.4km先の中野間の信号を直進して県道143号線に入ります。約2.8km先、橋の手前左手が登り口です。橋を越えたすぐ左手に「ほたるの宿路」の駐車スペースがありますので、車の場合はここに停めます。
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訪城備忘録 |
長い尾根に郭が並ぶ典型的な連郭式の城跡です。ただ、時期は定かではないですが石垣の城に改修されたようで、諸所に石垣の痕跡が残ります。
橋のそばにある説明板のところが登り口です。柵を開けて登ります。第一尾根まで比高で80mほどを一気に登ります。その後、緩斜面と急斜面を繰り返しながら登ると東端の堀切に至ります。この堀切、東郭端の真下なんで東郭から見下ろすとその高いこと・・・。
東端の堀切から少し登ると右手に東郭群、左手は中央郭群(主郭)、西郭群に繋がります。今は郭群の下を登山道になってますが、石垣の配置などから往時は長い帯郭であったのかもしれません。東郭群の南斜面には石列、石積み痕跡が認められます。
鞍部を越えると郭は5m程の二段切岸で巨石が混ざります。 この上を仮に中央郭群とします。巨石が多く郭としての機能がどうだろうと思えます。この下の登城道の下に石垣が残存してます。この下にも道があって石垣で威嚇していたんでしょうかね。
さらに西は主郭を含む西郭群です。一番細長く大きな郭が主郭と思われます。主郭から西に尾根上に郭が二郭が連なる感じですですが、郭間にはほとんど段差もないです。主郭含め土塁と無いんですが、一番西端の郭の淵には土塁が三日月状にあります。
主郭下の登山道(帯郭)で西端の堀切に下りられる細い道がありますが、その際にも石積みの残存があります。西端郭から南西側下に奇麗な形をした堀切が残り、北西側下には岩盤の大きな堀切があります。西端土塁から堀切の底面まで10mは越える。これはちとすごいです。
南西側下堀切のところからさらに下へ下りられます。下りたところが鞍部になっていて、資料では南に延びる南西側の尾根上には「しようど丸」と呼ばれる別の郭群があるようです。また、この鞍部から南東に下りる谷筋は大手道であったと考えられるようです。 鞍部までは行きましたが双方とも確認はしませんでした。
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登り口の説明板
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築城時期、築城者ははっきりしないようですが、南北朝期に在田重朝によって築城されたとも伝わるようです。在田氏は赤松範資の次男朝範を祖とする赤松一族とされます。いずれにしても在田氏はこの地に拠り、宗晴の代の天正三年(1575年)、矢口城(のちに但馬八木城)の別所重棟に攻められ落城したとされます。その後、別所氏の家臣の中野氏が在城したようです。
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