播磨 野村城



ファイルNo3819


             空堀          

@ のむらじょう 
  別名  

A住所:加古川市八幡町野村
B目標地点:厄除八幡神社
C形式:山城  D比高:60m 
E現況:山林

F遺構等:郭・堀・土塁
G時代/人物:戦国期/野村氏?
H満足度: 凸△
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  厄除八幡神社から20分

J撮影・訪問時期:2022年06月

  

道案内 

山陽自動車道三木小野インタを下り、国道175号線を南下します。 約1.6km先のバイパスの側道を左手に降りて右折します。約300m先、東這田(ひがしげんだ)の信号を右折し県道20号線に入ります。約4.7km先、宗佐の信号で左折し県道84号線に入ります。約1.2km先、を左斜めに入り、約600m先、左手上が厄除八幡神社、右手前が神社駐車場です。 登城口は神社に入ってきた道を約400mほど戻ると立石で塀にされている大きなお宅があり、その先に斜め右に入る小径があって、そこの入り、入ってすぐの右、用水路に沿って山へ向かうと、裾野に獣除けのネットがあり、これを越えて、まるで登り土塁のような支尾根を登って行くと城跡です。

訪城備忘録

時期もあったとは思いますが相当に薮化してました。ただ、下草が多いというのではなく雑木林が管理されていないという感じの荒れ方です。山裾から支尾根を登って行くと最初の平坦地が主郭のようです。三方をわりと急な斜面になってます。東側に低い土塁状になってる感じです。背後東側は尾根となっているようで、ここに大きな空堀を隔てて副郭が南北にあり、その二つの副郭の東側にまた空堀があるという構造です。主郭と副郭の間の空堀は主郭の北側に廻り込んで斜面に落ちているという感じで、切岸は2m以上あります。北副郭はただの平坦地という感じで、その東側堀も浅いです。この空堀は南へ行くに従い深くなり、途中で折れが入ってクランク状に南に延びてます。南副郭は東の空堀沿いと南北側に低い土塁が巡ります。空堀は案外深くてしっかりしていたという印象です。

歴史
厄除八幡神社

詳細は不明のようですが、文明元年(1469年)、別所氏の家臣の野村氏が築城し、天文年間(1532〜55年)には落城したようです。その後、三木城攻め(天正六年(1578年)〜天正八年(1580年))の羽柴秀吉に従った宮部氏が入ったとも伝わるようです。


空堀
城跡遠望      登り口へ
  
主郭
主郭
主郭背後空堀
主郭と空堀を挟んだ東側・北副郭
北副郭東側空堀
副郭東側折れのある空堀
副郭背後の空堀
 南副郭の土塁
南副郭の土塁
主郭切岸と主郭背後の空堀 
石野氏館 3818 

@ いしのしやかた  A住所:三木市別所町石野  B目標地点:西大歳神社
C形式:平城  D比高:ーーm E現況:神社  F遺構等:郭・土塁  G時代/人物:戦国期/石野氏 
H満足度:
凸+ I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:1分  
J撮影・訪問時期:2022年06月

山陽自動車道三木小野インタを下り、国道175号線を南下します。 約1.6km先のバイパスの側道を左手に降りて右折します。約300m先、東這田(ひがしげんだ)の信号を右折し県道20号線に入ります。約3.6km先左手、県道沿いの小さな神社が城跡です。
県道沿いにある小さな神社が館跡のようです。現在、県道沿いを含む三方に土塁の高まりがありますが、県道沿いのため本当に遺構なんかな? 
【歴史】 築城者、築城時期共に不明のようですが、別所氏に従った石野氏の館と伝わるようです。

神社敷地内から土塁
県道沿いから土塁

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