丹波 長谷山城



ファイルNo3742


               主郭背後の堀切             

@ はせやまじょう 
  別名  

A住所:丹波市市島町喜多
    旧:氷上郡市島町

B目標地点:
C形式:山城  D比高:110m 
E現況:山林

F遺構等:郭・堀切・畝状堅堀・土塁
G時代/人物:戦国期/船越氏
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  20分

J撮影・訪問時期:2021年06月

  

道案内 

舞鶴若狭自動車道の黒井インタを下りて国道175号線へ右折します。 約9km先の市島支所前の信号で右折し県道59号線に入ります。約300m先、市島支所南のY字信号で県道59号線は斜め右手です。約2.8km先で路地に左折になります。(ここからさらに約400m先左手は喜多公民館です。)左折した正面の山が城跡です。左折した後、山すその細い道を道なりに約500mほど進むと左折できる細い道があります。曲がり角に車1台とめられるスペースがあります。墓地があり、細い道は山に向かっていてすぐに獣除けフェンスゲートがあります。ゲートを越えたら右手の支尾根に取りつき登って行くと、主郭東側支尾根遺構の先端堀切付近に至ります。

訪城備忘録

主尾根先端に主郭があり、そこから南に向かって大きな3つの段郭があり、その段郭先端下に畝状竪堀があり、さらに主郭東支尾根にも段郭群があり、主郭背後に深くて明瞭な堀切が尾根側を遮断しているという城です。 畝状竪堀はこの辺(氷上郡)ではあまり見かけないです。同じ丹波だと京丹波側の美山町、綾部市あたりだとあるんですが、どうしてこの城だけ畝状竪堀があるのか不思議です。

城跡のある山のふもと周囲には獣除けフェンスが張り巡らされてます。 南側麓のお堂の近くのフェンスゲートから入り、超急斜面を直登して畝状竪堀に行くという事もできますが、斜面が急で、かつ、麓周囲がけっこう藪になってます。 東側麓の墓地の横に細い道が山側へ向いていてここのゲートはわりとすんなり入れるゲートでしたんでここから入ります。 ゲートをくぐると少し広場的に平坦地になっていて左右に支尾根斜面があります。左手は急な斜面なんで、奥の右手支尾根にとり付き北東に向かって直登します。斜面はそう急じゃないです。すぐに竪堀形状があるので、ここの横を沿って登って行きますと主郭から派生した東尾根に至ります。 堀切地形があって、その東側、尾根先端側には平坦地が三段ほどあります。 

堀切から主郭に向かって登ります。堀切形状からしばらく自然地形です。少し登ると東段郭群の先端堀切に至ります。切岸が壁のように見えます。先端郭は低土塁がU字に巡っています。ここより主郭に向かって小段郭が4つほどあり、主郭に至ります。主郭は中央が盛り上り櫓台なんでしょうかね。主郭の背後には深くて鋭い堀切があります。ここの遺構、この深い堀切の尾根側にももうひとつ堀切の痕跡があり、二重堀切であったようですが、尾根側の堀切は本当に痕跡という感じではありますが、堀切から竪堀に落ちるという地形は感じられます。

主郭から南側へ下ります。三つの大きな段郭が連なりますが、各郭間の切岸が高いです。三つ目の先端郭はU字に低土塁が巡り、郭の根元(切岸そば)の東側斜面に竪堀が落ちてます。西側にもあるようですが不明瞭でした。 この先端郭の下に畝状竪堀があります。 九条ほど竪堀がある感じで真ん中三条が割と明瞭で長いです。 資料では麓近くにも郭と堀切の遺構があるようですが、見逃しました。 遺構もしっかりと見学できるなかなかいい城跡でした。

歴史

船越氏の城とされますが、築城時期などは不明のようです。史料では船越氏は永禄七年(1564年)には没落したようです。





主郭下段郭と切岸     畝状竪堀
地理院地図より(青色は走破ルート、黄色が城域)
  
主郭より堀切を見る
主郭背後の堀切
主郭背後の尾根側堀切の痕跡
主郭背後の堀切を尾根正面から
主郭
主郭先端      主郭と段郭@と切岸
     段郭@      段郭@から段郭Aの切岸
段郭@から段郭Aの切岸
       段郭A           段郭Bから段郭Aの切岸を見る
段郭Bと土塁
段郭B
段郭Bの土塁
段郭B下畝状竪堀
段郭B下畝状竪堀
段郭B下畝状竪堀(下から)
東支尾根遺構
東尾根先端付近堀切
東尾根先端郭群と切岸
東尾根先端郭群と切岸
東尾根先端付近堀切
東尾根を登って行った先端の堀切と切岸
東尾根の堀切
東尾根の堀切
中間郭群先端郭と土塁
主郭への段郭と切岸   東尾根       主郭下   
主郭

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