道案内 |
国道2号線姫路バイパスの姫路ジャクションから播但連絡道で80Km先(あるいは山陽自動車道の山陽姫路東インタより播但連絡道で70Km先、中国自動車道福崎インタより同連絡道で55Km先)の和田山インタ、あるいは、舞鶴若狭自動車道の春日インタから国道483号線を経由し北近畿豊岡道を進み約60km先が和田山インタで、ここを下り、国道312号線を北に進みます。約4km先、一本柳の信号で左折し国道9号線に入ります。約6.5km先、宮田の信号で右折し県道10号線に入ります。すぐに糸井橋を渡り、約1.6km先の信号で斜め左手(県道10号線)に進みます。約1.4km先で右手の糸井小の横を通ります。さらに、約600m進んだ左手に「高生田城跡」登り口の看板と説明板があります。ここを左折し、30mくらい先の寺の前でもう一度左折、約50m先にもう一度城跡の標識があるところで右折し階段を上り墓地の横を過ぎると城跡に入るフェンスです。フェンスを越えると標識があり、左手へフェンス沿いに200mほど行くと右手へ支尾根の斜面を登ります。つづら道を支尾根の先端まで登ると城域に入ります。
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訪城備忘録 |
尾根の先端まで斜面のつづら道を登ります。尾根を進むと浅い堀切・竪堀を越えます。さらに尾根道を進み、左手から先端郭に至ります。先端郭から上の段郭を越えると主郭下のH郭になります。この郭とI郭は主郭下の帯郭で繋がっています。I郭から主郭への登ります。その登り虎口の横には長い竪堀ウがあります。主郭は長方形の広い郭で虎口から反対側端にくの字の土塁が残ります。この背後に堀切がありますが、深くて大きい堀切です。堀切先の尾根の郭から主郭を見ると高いするどい切岸が圧巻です。尾根のふたつの郭の先は堀切Bと案内板に書かれた堀切ですが、堀切というより広い鞍部という感じですが、この尾根の郭の切岸も高くて鋭いです。戻ってI郭の斜面下に四条の竪堀があります。畝状竪堀というより斜面の小郭を守る2条がワンセットの竪堀が二つあるという感じです。ここへの斜面は道がありませんし、急なので見学には気を付けてください。
写真の数字・記号は現地説明板に準じてます。
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県道沿いの説明板
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但馬守護山名氏の家臣、福富氏が永和四年(1378年)にこの地に入部したとされます。築城時期は定かではないようです。福富六郎兵衛忠順、福富加賀守、福富左衛門次郎貞数、福富六郎兵衛貞恒の名が史料に残るようです。天文二十三年(1554年)、福富七郎右衛門は、竹田城の太田垣土佐守と領地境界争いをした文書が残るようです。天正五年(1577年)、羽柴秀長の第一次但馬攻めで落城したとされます。 <現地案内板より>
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