播磨 小堀城



ファイルNo3435


                土塁            

@ こぼりじょう 
  別名  

A住所:小野市河合中町
B目標地点:
C形式:平城  D比高:ーm 
E現況:田畑

F遺構等:郭・土塁・説明板
G時代/人物:戦国期/光枝氏
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  2分

J撮影・訪問時期:2018年08月

  
道案内 

山陽自動車道の三木小野インタを下り、国道175号線を北上します。約11km先、旭丘中学校東の信号を左折します。約4km先で新大河橋で加古川を渡ります。渡って約100mで右折します。道なりに約1.5km先、左手路地に曲がると大きな土塁と説明板があります。
 
訪城備忘録

田園・畑地の中に唐突な感じで土塁が南北に横たわっています。痕跡ではなく、高さ2mほど長さで80mほどの立派な土塁です。また、集落内にも土塁の痕跡が残っているようです。

説明板
歴史

築城時期は定かでは無いですが光枝氏(三枝)の居館です。

河合城 3434

@かわいじょう  別名:堀殿城  A小野市新部町    
F遺稿:説明板 J訪城時期:2018年08月
山陽自動車道の三木小野インタを下り、国道175号線を北上します。約11km先、旭丘中学校東の信号を左折します。約4km先で新大河橋で加古川を渡ります。渡って約100mで右折します。道なりに約400m先、左手路地に入ります。道なりに約300mで左折し、約100m先右手の小川の横、道沿いに説明碑があります。主郭は源氏屋敷とも呼ばれたようです。遺構はすべて消滅しています。

築城時期は定かではないようですが、河合城は堀井城と小堀城を支城としたこの辺の中核城であったようで、赤松氏が築き、一族の上月氏が居城としていたようです。嘉吉元年(1441年)の嘉吉の乱では赤松満祐が将軍足利義教の首をもってこの城に入城したとされます。

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