播磨 穂積陣屋



ファイルNo3323


                 土塁           

@ ほづみじんや 
  別名 八木氏陣屋 

A住所:加東市穂積
B目標地点:
C形式:平城  D比高:ーーm 
E現況:荒れ地・民家

F遺構等:郭・土塁・堀?・移築門
G時代/人物:江戸期/本多氏・八木氏
H満足度: 凸+
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  2分
J撮影・訪問時期:2017年09月
         (2023年09月)

  

道案内 

中国自動車道の滝野社インタを下り、県道17号線の北野の信号を直進します。1.2km先の中国自動車道のガート手前で右折し高速道路沿いに進みます。300m先で右折し、小道を進むと150m先左手が陣屋跡です。 

(移築門は中国自動車道の滝野社インタを下り、県道17号線の北野の信号を左折し200m先の滝野社インタ入口の信号で右折し国道175号線に入ります。3.2km先の信号で右折し国道372号線に入ります。約5km先の高岡中の信号で右折します。約1km先の高岡北の信号で左折し県道370号線に入ります。約1.4km先で左折し、200m先を右折、400m先が了徳寺で左手が山門です。)

訪城備忘録

陣屋跡は民家と荒れ地になってます。荒れ地が近年までものずごい竹藪だったようですが、訪れた時にはきれいに伐採されてました。道路より1.5mほど微高地になっていますが、中に入りませんでした。民家側に土塁が残ってました。手前は堀跡にも見えます。 ここの門が加東市高岡1724の了徳寺に移築されてます。2017年は日没後に行ったので、2023年は明るい内に行ってきました。

陣屋西側から遠景
歴史

姫路城の本田氏の代官所として寛永年間(1624〜45年)に築かれました。元禄四年(1691年)、赤穂城の浅野氏の所領となり代官所として使用され吉田忠左衛門(赤穂47士のひとり)が加東・加西郡の奉行として入りました。元禄十四年(1701年)、松の廊下事件で赤穂浅野氏は取り潰しとなり、天領となります。元禄十六年(1703年)、旗本八木氏が四千石の所領となり陣屋に八木氏は三代続き明治維新まで続きました。八木氏は但馬八木氏の系統で、十五代豊信の子または孫の光政が関ケ原の戦いで東軍に付き旗本となったものです。

       陣屋領域     移築門(了徳寺)
陣屋土塁
民家前土塁・手前は堀跡?
  
移築門(了徳寺)

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