播磨 屋口城



ファイルNo3321


                            主郭手前

@ やぐちじょう 
  別名 矢口城 

A住所:小野市中谷町
B目標地点:
C形式:丘城  D比高:30m 
E現況:山林

F遺構等:郭・土塁・堀
G時代/人物:室町期/依藤氏
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  標識のところから20分

J撮影・訪問時期:2017年09月

  

道案内 

中国自動車道の滝野社インタを下り、県道17号線の北野の信号を左折し200m先の滝野社インタ入口の信号で右折し国道175号線に入ります。約3.2km先の信号で左折し国道372号線に入ります。 約2km先の山国の信号で右折し県道85号線に入ります。県道を道なりに約8km先、小田の信号で県道は左折です。約2km先の右手に豊地城の丸い城址碑があり、奥に豊地城の土塁が見えます。ここへ左折し、土塁の横を通り、裏手の旧道の十字路を右折します。120mほど進んだところで路地に左折します。角に「屋口城」の標識があります。田んぼの真ん中の一本道の登り坂の農道を400m進むと農道の終点でその後は階段道になり丘に登ります。途中左手に稲荷の祠があり、頂上が主郭です。
 
訪城備忘録

登り道を登って行くと中腹左手が稲荷社、さらに少し登ると主郭右下が二の郭です。二の郭は周囲を低い土塁が巡り、反対側に出ると深い空堀が右手にあり、その下左手に主郭下を巡る空堀があります。この二つの空堀で食い違いの土橋風になってます。主郭は昔水道施設があったようです。周囲に土塁が残ります。祠があり、その奥に副郭があるようですが藪で入りませんでした。二の郭の下に三の郭が尾根先端まであるようです。

城跡遠景
歴史

文明元年(1469年)播磨の守護に返り咲き、家臣の依藤則忠がこの地に入りました。屋口城は豊地城の詰め城と考えられます。享禄三年(1530年)、依藤氏と別所氏の戦いがあり、この後依藤氏は滅ぼされたようです。永禄年間(1558〜70年)に別所重棟が入りました。重棟の家臣の吉田盛秀が城主とも言われます。天正八年(1580年)、三木城は落城、この頃、秀吉の命で城は破却されました。

二の郭土塁        主郭下堀
城跡麓からの風景
  
二の郭
二の郭西側外側堀        二の郭     
主郭土塁
三の郭           三の郭堀?
二の郭と三の郭の間を下から         城跡標識        

近くの城・関連の城:豊地城