播磨 豊地城



ファイルNo3320


                            

@ といちじょう 
  別名 東条城?・依藤城? 

A住所:小野市中谷町
B目標地点:八王子神社
C形式:平城  D比高:ーーm 
E現況:田畑・宅地・神社

F遺構等:郭・土塁・堀・碑・説明碑
G時代/人物:南北朝期/金谷氏 依藤氏
H満足度: 凸+
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  2分

J撮影・訪問時期:2017年09月

  
道案内 

中国自動車道の滝野社インタを下り、県道17号線の北野の信号を左折し200m先の滝野社インタ入口の信号で右折し国道175号線に入ります。約3.2km先の信号で左折し国道372号線に入ります。 約2km先の山国の信号で右折し県道85号線に入ります。県道を道なりに約8km先、小田の信号で県道は左折です。約2km先の右手に丸い城址碑があり、奥に土塁が見えます。

訪城備忘録

唐突な感じで県道に沿って50mほどの土塁が残っています。この土塁は主郭の南側の土塁のようです。土塁の西側の観音堂も城域で観音堂の南側の畑は堀跡のようです。

歴史

南北朝期、金谷経氏の居館と伝わります。守護が赤松氏、山名氏時代も城館としては機能していたようです。応仁の乱以降に赤松政則が赤松氏を再興し、播磨守護になり、依藤則忠がこの地に入りました。享禄三年(1530年)、依藤氏と別所氏の戦いがあり、この後依藤氏は滅ぼされたようです。永禄年間(1558〜70年)に別所重棟が城主となりました。天正六年(1578年)に別所氏本家の長治、兄の吉親が織田氏から離反しますが、重棟は羽柴秀吉に従いました。天正八年(1580年)、三木城は落城、この頃、秀吉の命で城は破却されました。(重棟は天正十三年(1585年)に但馬八木城、1万5千石を秀吉から与えられました)


観音堂と城址碑、城址碑の左の畑は堀跡   土塁を横から               
土塁
小沢城 3319   

加東市小沢

依藤氏の支城でとされます。依藤氏が別所氏と戦った依藤城は豊地城ではなく、この小沢城ではないかとも言われます。 県道から見えますが、周囲をフェンスが取り囲んでいます。ゲートも県道から見えます。この日は夕方に着いたので訪城はあきらめました。

城跡遠景

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