播磨 善防師城



ファイルNo3318


                            主郭

@ ぜんぼうしじょう 
  別名 善防山城 

A住所:加西市戸田井町〜三口町
B目標地点:善防山・善防公民館・古法華寺
C形式:山城  D比高:200m 
E現況:山林

F遺構等:郭・土塁・石積み・堀切・説明板
G時代/人物:南北朝期/赤松氏
H満足度: 凸+☆
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  古法華寺途中の登り口から比高160mで
  30分


J撮影・訪問時期:2017年09月

  

道案内 ←登り口のひとつ

山陽自動車道の加古川北インタを下り、加古川ICの信号を左折し県道43号線に入ります。約2km先の倉谷西のY字信号で左手に入ります。(県道43号線のまま) 約5.2km先の三口の信号で右折し国道372号線に入ります。約200m先の善防の信号で斜め左へ入り再び県道43号線を進みます。約1.5km先の王子町の信号で左折し県道81号線に入ります。約1km先右手が善防公民館と公園で大きな駐車場があります。ここの反対側の少し戻ったところに登城口があります。 さらに、公民館から県道を600m先、善防中学を越えたところで左折しまっすぐに山に向かっている道があります。古法華寺、笠松山への道です。山道に入る手前に駐車場がありますが、山道を少し登ると「つり橋」の登り口があり、ここに車は停められます。「善防山1.5km」の標識もあり、ここより登りました。
 
訪城備忘録

古法華寺(古法華石仏)に向かう道の途中につり橋へ登る道の入口があってそこから登りました。つり橋の所に再度善防山の標識があります。岩場の多い細尾根の道を進みます。前方に善防山が見えていますが、右側がほぼ岩盤の山肌であり、こんなとこ登れるんかという感じでしたが、急な斜面はジグザク道で登って行きます。尾根まで登ると小さな堀切を越えます。その際を登ると主郭です。主郭の眺望はバツグンです。新しい説明板には嘉吉の乱と則繁中心に書かれてましたが、古い説明板では嘉吉の乱の際に山名氏に攻められ落城、その時の戦死者の白骨が明治初めまで出たと書かれてました。主郭は巨岩が多く、削平は甘い感じで、主郭一段下を帯郭が巡ります。城域は登ってきた西側、主郭北側下の尾根、南の尾根に展開していますが、北側尾根は段郭と郭の平坦地はわりと分かりがいいのですが、南側の第二頂上周囲の南郭は頂上が小さな平坦地で以外不明瞭です。しかし、南郭の北側下には巨石の石列があります。岩が割れたものかとも思ったんですが石列のようです。主郭の南下の段郭斜面にも石垣かと思わせる箇所があります。城は古い形状の縄張りと思いますが、石垣が唐突です。山城巡りというよりハイキングですね。ただ、この辺のハイカーは善防山より笠松山へ行かれるようです。^^;

主郭説明板
歴史

築城者、築城時期の明確な史料はないようですが、貞和二年(1346)に赤松範資(赤松則村<円心>の嫡男)が築いたとされるようです。嘉吉の乱(嘉吉元年(1441年))の時には赤松満祐の弟(義則の子)であった則繁が城主でしたが、城山城で満祐とともに籠城しますが脱出し朝鮮まで逃れ、文安五年(1448年)、帰国し大内教弘と戦いましたが敗れその後自刀したようです。善防師城は嘉吉の乱では城主不在のまま山名氏の攻撃を受け落城したとされ、その後の城史も不明のようです。

    東郭石垣?         加西市郊外から城跡遠望
現地説明板より
  
主郭からの眺望(北側)
主郭からの眺望(東側)ー遠くに六甲山
主郭からの眺望(南西側)−遠くに瀬戸内
主郭からの眺望(北西側)
笠松山方面とつり橋
登城道より城跡遠望
中腹からの眺望
   
    堀切         主郭と帯郭
主郭南下石垣?
主郭南側虎口?       中間のピークの郭
南郭石垣?           南郭
南郭石垣?
北の尾根の郭

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