播磨 小谷城



ファイルNo3317


                     西の郭の南側虎口付近の屈曲した堀と土塁

@ こだにじょう 
  別名  

A住所:加西市北条町小谷
B目標地点:陽松禅寺
C形式:山城  D比高:110m 
E現況:山林

F遺構等:郭・土塁・堀切・竪堀・堀・碑・説明板
G時代/人物:室町期/赤松氏
H満足度: 凸凸☆
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  陽松寺から20分

J撮影・訪問時期:2017年09月・2022年06月

  

道案内 

中国自動車道加西インターを下り、加西IC前の信号で左折し県道24号線に入ります。約1.3km先の玉野の信号で右折し県道371号線に入ります。約2.4km先の横尾第二の信号で左折し県道24号線(旧道)に入ります。250m先の信号で右折し県道23号線に入ります。すぐに北条町駅前を通過します。約1,6km先の北条中学校前の信号で右折します。約400m先の信号で右折し高速道路沿いを進みます。300m先を左折し高速道路のガードをくぐり左折します。すぐの斜め右手の道を進みます。600m先右手が小谷公民館で手前が駐車場です。さらに300m直進すると陽松寺です。この寺の右手から登ります。
 
附):鶉野飛行場跡「soraかさい」

訪城備忘録

陽松寺の背後の道に赤松氏家臣の墓、赤松祐尚の追善墓があります。ゲートをくぐって右手に登って行きます。中腹に平坦地があり南の郭のようです。山頂下で東西に横たわる堀を越えると主要部です。大きな「小谷城跡」の看板があります。

小郭が主郭に向かって五段あります。主郭は横長楕円形の形です。最近、西郭群を含め地元の方が整備され、主郭からの眺望も抜群です。主郭東下には円弧の堀切と土塁が確認でき、南端斜面には竪堀も確認できます。主要部を西に降りると大きな堀切があり、その向こうが西の郭です。ここの北側には竪堀が数条するようですが、よくわかりません。南側は横堀、それからコの字で屈曲横堀、土塁があり、虎口を囲みますが、見所です。

西の郭端には小さな堀切、さらにその先の尾根にも堀切があり、ここまでが城域のようです。西の郭は以前はすごい笹藪であったようで、地元の方の整備により、この城の最大の見所の虎口とそれを取り囲む屈曲した土塁・堀が見られるのは感謝ですね。

二の郭から主郭
歴史

築城時期、築城者は定かではないようですが、赤松氏一族が築いたのは間違いないようです。嘉吉元年(1441年)、赤松満祐は六代将軍足利義教を殺害、これを嘉吉の乱と呼ばれます。満祐は幕府討伐軍に敗れ自刀しますが、満祐の弟で僧侶であった赤松直操(竜門院直操)が小谷城の城主であったようです。嘉吉の乱で直操は山名勢に敗れ自害しました。その14年後、満祐の弟の義雅の孫の政則が赤松氏を再興、文明元年(1469年)播磨の守護に返り咲きました。小谷城には天文年間(1532年〜)に一族の赤松祐尚が再建したようです。しかし、天文十一年(1542年)に尼子氏と戦って討死しました。その後の城史ははっきりしないようですが天正七年(1579年)頃の織田軍の播磨攻めの際には拠点のひとつとして使用されたようです。

西郭と主要部の間の堀切       主郭東下堀と土塁
   
現地掲示板より
主郭からの眺望(南側)
主郭からの眺望(南東側)
主郭からの眺望(北西側)
主郭手前幟    主郭表示板
主郭全景
  
山腹の郭(南郭)
主要部南側下横堀
主要部段郭から主郭
主郭東下堀切と土塁       主郭南斜面竪堀
主郭東下堀切と土塁
主要部と西郭の間の堀切           西郭の南側横堀
西郭
主要部と西郭の間の堀切
主要部と西郭の間の堀切
西郭から主要部と堀切
主要部から西郭の南側下横堀
屈曲する虎口周辺土塁・堀
西郭虎口土塁
屈曲する虎口周辺土塁・堀
屈曲する虎口周辺土塁・堀
屈曲する虎口周辺土塁・堀
      西郭群端の堀切         西尾根の堀切(板の架かる所)
西尾根の堀切
  
城跡遠望          陽松寺
家臣の墓           赤松祐尚の追善墓
鶉野飛行場跡 soraかさい 

加西市鶉野町(かさいしうずらのちょう)
小谷城と同じ加西市内にある施設です。戦争遺跡と言えるところで滑走路跡などが今も残ります。その中に「soraかさい」という施設があります。紫電改と97式艦上攻撃機の実物大外観復元が展示されてます。 実物を見たことがあるわけではないですが、機体の質感がリアルに感じます。 ただ、この飛行場からも特攻で飛び立った方々がおいでです。かっこいいだけでは無いのですが。

手前:紫電改 後方上:97式艦上攻撃機
手前:紫電改 後方上:97式艦上攻撃機
紫電改
紫電改
紫電改
97式艦上攻撃機
97式艦上攻撃機

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