丹波 山垣城



ファイルNo3239


                            二重堀切手前を横から

@ やまがいじょう 
  別名 万歳城 

A住所:丹波市青垣町山垣
B目標地点:青垣いきものふれあいの里
C形式:山城  D比高:80m 
E現況:山林

F遺構等:郭・土塁・二重堀切・竪堀・説明板
G時代/人物:鎌倉期/足立氏
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  10分

J撮影・訪問時期:2017年05月

  
道案内 

舞鶴若狭自動車道の黒井インタを下りて春日和田山道路に入ります。約25km先、青垣インターで下り、県道7号線を右手に進みます。約1.6km先小倉の信号を右折し国道427号線に入ります。約3.2km先で右折し、すぐに遠阪川を渡ると左折し川沿いを進みます。400m先で「青垣いきものふれあいの里」への道を越え、200m先の農道に右折します。200m先が山裾で土地改良か何かの碑の前が少し広いためここに車を駐車します。戻り感じで山裾沿いを200mほど進む(手前の墓地では無く、奥の墓地)と「山垣城」の標識がりここに入ります。すぐに足立遠政の墓と城の説明板があり、左手に登城道があります。

訪城備忘録

説明板、顕彰碑から登ります。中腹に社があります。この手前、登城道の左側も平坦地であり、出郭かもしれません。さらにつづら道を登って行くと三の郭に当たる社殿があるところに至ります。社殿背後の高い切岸を登ると二の郭、その上が主郭になります。その先、北側にも二段の段郭、さらに高い切岸を下りると北端の郭に至ります。北端の郭の先は尾根の鞍部で再び登ると塹壕道の古道があり、その上は北への尾根になってましたが、鞍部の先は城域ではないようです。 三の郭の南側に明瞭な二重堀切が残ります。二重堀切の先に広い南の郭がありました。南の郭の先はまた高い切岸になり、堀切、竪堀があります。 郭は土塁はなく、切岸と堀切・竪堀で防御された城ですが、縄張りは完存している感じです。昔に一度は整備されたようですが、三の郭から二の郭の斜面にはトラロープも設置してありましたが、もう朽ちた感じで、郭内も藪化が進んでます。

顕彰碑と説明板
歴史

足立氏は藤原鎌足を祖とし、一四世遠兼が武蔵足立郡を有し、十五世遠元が足立氏を称したとされるようです。遠元の孫の遠政が丹波佐治庄の地頭職となり、この地に移住し、承久三年(1209年)、この地に居館を構えたのが始まりとされるようです。 山垣城は足立氏の本拠地として十二代続きました。十二代基助の時、天正七年(1579年)、織田氏の羽柴秀長、明智光秀に攻められ基助は討死し落城したとされます。


南の郭から堀切              西下から堀切
城跡遠望(手前の山)             麓の入口標識
  
三の郭            二の郭
主郭              北の郭の高い切岸
二重堀切を上から                二重堀切のひとつを横から
二重堀切を横から
南の郭            南の切岸
二重堀切を上から
南先端堀切

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