丹波/ 足見山城



ファイルNo3096

連郭式の堀切が明瞭

                            堀切

@ あしみやまじょう 
  別名 中山別堡(塁) 

A住所:篠山市真南条上
B目標地点:願勝寺(篠山市真南条中)
C形式:山城  D比高:200m 
E現況:山林

F遺構等:郭・土塁・堀切・竪堀
G時代/人物:戦国期/河村氏
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  35分

J撮影・訪問時期:2016年04月

  

道案内 ←登り口 

舞鶴若狭自動車道の丹南篠山口インタで下り、県道94号線に左折し篠山市中心部に進みます。約5Km先の北の信号で右折し県道49号線に入ります。約1.6Km先で右折し国道372号線に入ります。約4.2Km先、真南条中のバス停を越えたあたりで右折し、500m先のT字を左折、50m先を右折すると左手が願勝寺です。右手前方に貯水池があり、その池沿いに歩いて行き、池を越えたあたり右折し廻り込むよう山へ向かいます。 (あるいは京都方面より京都縦貫自動車道の亀岡インタで下り、国道372号線を湯の花温泉経由で進みインタから約27Km先が八上下の信号です。さらには京都縦貫自動車道の園部インタで下り、国道477号線で西に進み、途中で国道372号線に合流します。この国道372号線はデカンショ街道というらしい。小野新という信号から7Km先、日置東の信号付近から2.2Km先が八上下の信号です。八上下の信号でY字を左手方向国道372号線をそのまま行きます。約7.5km先が真南条中のバス停付近です。)
 
訪城記録

池の所からやや右手から廻り込むように山の斜面を登って行きます。道と言うほどではありませんが、急ですが歩きやすい斜面です。南側から北に向かって斜面を登る感じです。途中、段郭風、竪堀風の地形がありますが、どこまで遺構なのか判別しがたいです。最後の急坂を登りきりと主要郭群に至ります。最初の郭(三の郭)を越えると明瞭な堀切があります。土橋もかかり、なかなかの遺構です。さらに二の郭、主郭付属の副郭を越えると主郭です。主郭は北側に櫓台があります。北側切岸はするどく急坂です。その下に堀切があり、されに細尾根の先にもう1条の堀切があります。ここにも薄くなってますが土橋が確認できます。 典型的な連郭の城で案外見やすい城跡です。

城跡遠景
歴史

築城時期は不明ですが、波多野氏の家臣の河村氏でが築いたようです。波多野氏は応仁の乱の戦功で多紀郡に入っており、それに従い多紀郡に入ったので、築城は応仁元年(1467、68年)〜文明年間(1469〜86年)頃<応仁の乱は文明九年81477年)に終結>、あるいは、その後の長亨、延徳、明応、文亀、永正、大永までの年間のいずれか?? 永正五年(1508年)頃まで酒井氏と波多野氏は抗争しているので、この城はそういう意味では重要拠点であったと推測されます。天正七年(1579年)主家八上城は明智光秀に攻められ、波多野秀治らは安土城にて殺されため家臣たちは八上城に籠城し光秀に抗し落城しました。この時河村紀伊守も討死したとされ、河村氏の本城とされる真南条上城の主郭には河村紀伊守の碑が建てられています。

三の郭と二の郭の間の堀切                北側の堀切と土橋
北側尾根の堀切
  
登り斜面
竪堀
最初の郭(三の郭)
三の郭と二の郭の間の堀切             二の郭
主郭と櫓台                       主郭から付属郭
主郭から北側に降りた切岸                        北側尾根堀切
堀切と堀切の間の細尾根                    北側先端の堀切
北側尾根先端の堀切と土橋

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