播磨 林田陣屋



ファイルNo3023


              南石垣              

@ はやしだじんや 
  別名 (窪山城) 

A住所:姫路市林田町林田
B目標地点:聖ノ岡公園・林田中学
C形式:丘城  D比高:10m 
E現況:公園

F遺構等:郭・石垣・土塁・碑・説明板・藩校建物
G時代/人物:戦国期・江戸期/谷沢氏・建部氏
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  5分

J撮影・訪問時期:2015年11月

  
道案内 

山陽自動車道の山陽姫路西インタを下り、国道29号線を北上します。約8km先、林田の信号を左折し県道435号線に入ります。約400m先で左カーブですが、カーブが終わったらすぐに右の道に右折します。約50m先、林田中学手前で右折し中学沿いを進みます。約150m先、丘の上、聖ノ岡公園が陣屋跡です。 
訪城備忘録

陣屋跡は公園になっていて南面の坂道に石垣が残っています。公園内には盛り上がった箇所があり、隅櫓跡のようです。陣屋周辺には藩校「啓業館」の講堂(幕末の建物)が残っています。また、大庄屋三木家のお屋敷が現存しますが、東京にある大名屋敷ほどの風格がありますね。ここの三木氏は英賀城の三木氏の一族で天正八年(1580年)に英賀城が落城した後にここに帰農したとされます。

城址碑
歴史

室町後期に谷沢国氏が築城し窪山城と言われましたが永正十三年(1516年)に赤松政村に攻められ落城しました。 江戸期に入り、建部政長が元和三年(1617年)、1万石で入封し窪山城の跡に陣屋を構えました。その後、10代、明治維新まで続きました。

説明板と碑       隅櫓跡
陣屋跡     石垣
  
林田藩藩校敬業館    講堂(現存)
林田旧大庄屋三木家
林田旧大庄屋三木家

新宮陣屋 3021
@ しんぐうじんや 
  別名 

A住所:たつの市新宮町元町
B目標地点:
C形式:平城  D比高:ーーm 
E現況:公園

F遺構等:郭・石垣・説明板
G時代/人物:江戸期/池田氏
H満足度:
凸+
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  1分


J撮影・訪問時期:2015年11月
説明板

【道案内・訪城備忘録】
山陽自動車道の龍野インタを下り、県道29号線を北上します。約1.4km先の富永の信号を左折し国道179号線に入ります。約600m先、龍野橋で揖保川を渡り、龍野橋西詰の信号を右折します。約4.8km先の船渡の信号で、ここからさらに約4km先が新宮三差路の信号です。国道は左折ですが、この信号を直進して約150m先を左折し、約100m先の右手が陣屋跡です。角に説明板が立っていて、空き地(畑地)の基壇に石垣が残ります。

【歴史】
寛永三年(1631年)、池田重利によって築かれました。重利は本願寺坊官の下間頼龍の子で頼広といいましたが、母が池田恒興の娘(池田輝政の姉)であったので、池田輝政に仕え、慶長十八年(1613年)に池田姓を許されたとされます。元和元年(1615年)以降に摂津に領地を与えられ、ついで、播磨の地に1万石で転封、最初は太子町鵤(いかるが)に陣屋を構えましたが、新宮に陣屋を移したものです。重利の後は重政、薫彰(てるあきら)、邦照と続きました。寛文十年(1670年)、邦照が嗣子が無く没したため改易になりましたが、邦照の弟の重教が三千石で新規に旗本として取り立てられ明治維新まで続きました。

陣屋跡と石垣

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